吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2002年11月

ぼくはあまり人の影響は受けないのだが、本の影響は受けやすい。
したがって、その時その時に読んでいる本がわかれば、今のぼくの心境がわかるはずである。

小学2年から3年にかけて、ぼくは『おそ松くん』が好きだった。
その影響か、ぼくはその当時、いたずらばかりやっていた。
やることなすこと、すべてが赤塚ギャグだったと言ってもいい。

小学6年の頃、『いじわるばあさん』や野末陳平のナンセンス本を読んでいた。
そのせいで、ぼくはいじわる大好き人間になった。

中学1年の頃、『姿三四郎』を読んだのだ。
その影響で柔道を始めた。
柔道着を着ているだけで、気分は姿三四郎だった。

中学2年の頃、『葉隠』を読んだ。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」のくだりを読んで、いつか切腹してやろうと思い、ボールペンで切腹の真似事をやっていた。
またこの頃、『あしたのジョー』を真剣に読み始めた。
そのせいで、矢吹丈のセリフを数多く使うようになってしまった。

中学3年の頃、『空手バカ一代』を読んで、極真空手の通信教育を始めた。
しかし、お金が続かなかったので、3ヶ月でやめた。

高校1年の頃、『水滸伝』を読んで、豹子頭林冲に憧れる。
棒術でも習おうかと、武道具屋に行き棒を買うが、数ヶ月後に邪魔になったため薪にしてしまった。

予備校時代、三国志を読み、諸葛孔明に憧れる。
孔明は四柱推命や方位学に優れていたと書いていたので、さっそくそういう関係の本を買い込み勉強した。
その翌年、ぼくは仕事を探さなくてはならなくなった。
しかし、何をするのか、はっきりした目標がなかった。
そこで、例の方位学を活用することにした。
が、すべて外れだった。
おかげで、26回連続で面接に落ちるという、不名誉な記録を作ってしまった。
そのせいで、いまだに方位学を信じられないでいる。

こういう傾向は、社会に出てからも変わらなかった。

20代前半、よく人から「30歳くらいですか?」と聞かれたものだ。
その頃は、年の割に落ち着いて見えたらしい。
ちょうど、中国思想に凝っていた頃だ。

20代後半から30代前半にかけて、よく人から「哲学やってるでしょ」と言われたものだ。
その頃は、哲学者のような目をしていたらしい。
ちょうど、仏教思想に凝っていた頃だ。

30代半ば、ぼくの周りには女っ気がなかった。
いつも大勢の男がぼくを慕ってきた。
ちょうど、任侠ものに凝っていた頃だ。

今、よく人から「年の割に若いね」と言われる。
「情熱」などという言葉を口走っている。
ちょうど、少年マンガに凝っているところだ。

ぼくを知っている人がこの日記を読んだら、その日のぼくの雰囲気で、どんな本を読んでいるかがわかるだろう。

酔っぱらいのおいちゃんだが、今日もひと騒動起こしたらしい。
何でも、女性客に絡んだらしく、「お前、出て行け!」などと暴言を吐いたそうだ。
それを聞いて店長が切れ、警察を呼んだ。
おいちゃんは女子トイレに籠城するなどして抵抗したが、最後は「ご用」になったという。

事件にいつも絡んでいるぼくだが、今日は休みだったため、この捕り物を見逃してしまった。
今頃、絞られているだろうが、案外おいちゃんのことだから、これも計算尽くだったのかもしれない。
留置所に入れられたら、雨露をしのげるわけだから。

さて、そんな騒ぎも知らず、今日ぼくは家で引っ越しの準備をしていた。
ホームページの、である。
別段変わったところはないのだが、最近更新してない「ライブ」と「怠慢歌集」はやめることにした。
また、掲示板は一つにする。
掲示板は、今までのように個別にレスが出来るタイプをやめることにした。
以前のように日記がスラスラと書けなくなったし、仕事の都合で、朝レスも出来ない状況である。
とりあえず、当分はレスなしタイプでいこうと思っている。

URLは、「http://beatles.to/shinta」でアクセスされている方に関しては、そのままでいいです。
http://www.ne.jp/asahi/m/shin/」の方に関しては、上記URLへの変更をお願いします。
ASAHIネットは12月いっぱいでやめますので、よろしくお願いします。

ところで、先日、携帯を買い換えた。
ドコモショップから、「504が出ましたよ」と連絡があったのだ。
ホームページに写真を載せたかったので、以前からカメラ付きが欲しいとは思っていた。
しかし、夏に発売したカメラ付きの251シリーズはiアプリが使えない。
ぼくにとって携帯は、iアプリがないと意味をなさない。
なぜiアプリにこだわるかというと、iアプリにはお気に入りのメールソフトがあるからだ。
そのため、夏に251が出た時には我慢した。
11月にカメラ付きのiアプリが出ると聞いたので、さっそくぼくは懇意のドコモショップに連絡し、予約しておいた。
ドコモから電話があったので、ぼくがすぐにドコモショップに向かったのは言うまでもない。

さて、ようやくカメラ付きを手に入れたのだから、これをさっそくホームページに反映していこうと思っている。
ということで、ホームページ引っ越し日の12月1日に写真第一弾をアップする予定だったのだが、ちょっとそれが難しい状況になってきた。
なぜなら、載せようと思っていた被写体がいなくなったからだ。
被写体は何でもよさそうなものだが、あるこだわりがあって、是非それを被写体にしたかった。
でも、しかたないか。
警察に捕まったんだから。

最近口癖になっているのが、「はーい」である。
これを低いだみ声で言うと、酔っぱらいのおいちゃんの物まねになる。
酔っぱらいのおいちゃんは、店長に優しくしてもらっているせいか、調子に乗っている。
大声で怒鳴るだけなら、かわいいほうである。
最近は他のお客さんからタバコをたかったりもするし、ひどい時には店の中で立小便をすることもある。
売場でタバコを吸われて以来、ぼくはおいちゃんに冷たく接するように心がけている。
それを感じたのか、おいちゃんのほうもぼくを避けるようになった。
それでも、おいちゃんの怒鳴り声が聞こえたら、他のお客さんに迷惑がかかるといけないので、素早くおいちゃんのいる場所に駆けつける。
そして、散々文句を言う。
「おいちゃん、店の中で大声出したらいけんち言うたやろ」
「お前に関係なかろうが。コラッ!」
「『コラッ』ちゃ、誰に言いよるんね」
「・・・」
ぼくが睨むと、おいちゃんはすぐに目をそらす。
そして、下を向いて、聞いてないふりをする。
「ここにおりたかったら静かにしとき。わかった?」
「わからん」
「わからん?」
「あ、わかった」
「ここはあんたの家じゃないんやけね。大きい声出すと、他のお客さんがびっくりするやろ?」
「何をっ! わしは若い頃、声を鍛えたんぞ」
「はいはい、そんなに大声が出したかったら、こんな狭いところじゃなくて、洞海湾に行って叫んできたらいいやん」
「何かコラッ!・・・。はーい」
「今度大声を出したら、つまみ出すけね」
「はーい」

その後しばらく様子を見ていると、おいちゃんは独り言を言い出した。
「おれは悪い人間じゃない。お、コラッ。・・・、はーい」
「ブツブツブツブツ。はーい」
一人で言って、一人でうなずいている。
いよいよ頭がおかしくなったのだろうか。

それから、ぼくはおいちゃんに文句を言うたびに、「はーい」と真似してやることにした。
おいちゃんは、きっとなめられていると思っているのだろう。
が、相変わらずぼくの顔を見ない。
顔をよそに向けて、言い返している。
「何で、おればかりに文句を言うか!おれは前科モンぞ、コラッ!」
そこですかさずぼくは「はーい」と言う。
「ふざけんなよ、コラァ!」
「はーい」

先日、ベンチの周りにポテトチップスの食べかすが散らばっていた。
お客さんが「そこ、例のおいちゃんが座ってましたよ」と教えてくれた。
その翌日、おいちゃんがベンチに座ってポテトチップスを食べているのを見つけた。
案の定、周りに食べかすが散らばっている。
「ポテトチップスを食べるなとは言わんけど、もう少しきれいに食べり。昨日おいちゃんの食べかすを掃除したんやけね」
「大将、わたしはですなあ。悪い人間じゃありませんけ」
「悪い人間やないんなら、ちゃんと自分の食べた後始末ぐらい片づけなね」
そう言ってぼくは、売場からホウキとチリトリを持ってきた。
そして、それをおいちゃんに突きつけ、「自分が散らかしたんやけ、ちゃんと自分で片づけり」
おいちゃんは相変わらずぼくの顔を見ず、「はーい」と言うと、ぼくからホウキを取り上げ、そのへんをはわきだした。
「やれば出来るやないね」
「わたしはきれい好きですけ」
「誰がきれい好きなんね」
「・・・。はーい」

今日、店内放送で店長から呼ばれた。
行ってみると、店長は一枚の紙をぼくに渡した。
その紙には、
『酔っぱらいのおじさんから、「山芋を買え」としつこくせまられました。こちらが「いりません」と言うと、大声で怒鳴り出し、子供が泣きだしました。ああいう人は出入り禁止にして下さい。店の人も、もっと強気に対応して下さい』
とお客さんの苦情が書かれていた。
ぼくがそれを見て、「『強気に対応して下さい』と言われても、他のお客さんの建前、言えませんよねえ」と言うと、店長も「そうよねえ。その人はいいかもしれんけど、知らないお客さんには良く映らんとねえ」と言う。
こちらとしては、おいちゃんが他のお客さんに絡み出したら、注意することしかできない。
その際、こちらから「いいかげんにしとけよ。出て行け!」などと言えるわけがない。
注意して言うことを聞かなかったら、後は警察を呼ぶだけだ。

夜、おいちゃんは、いつものようにベンチで寝ていた。
閉店になったので起こしたのだが、なかなか起きようとしない。
仕方なく、おいちゃんを店の外に引きずり出した。
後ろから脇を抱えて引っ張ったため、時々首が絞まったのだろう、「ウェー、何か、ウェー、コラッ、ウェー」とあえぎながら言っていた。
外に出すと、「コラッ!殺すぞ、コラッ!・・」と、一人でわめきだした。
しかし、誰も相手にしなかった。
おいちゃんは、またそこで寝ころんでしまった。
後で店長が、「外は寒いけ、あのままだと死んでしまうやろね。110番しとこ」と言って、電話をかけていた。

帰る時、ぼくはおいちゃんが寝ている横を通って行った。
パトカーが来ていた。
3人の警察官が対応していた。
おいちゃんが動こうとしないので、困っている様子だった。
まさか警察に向かって「殺すぞ、コラッ!」と言ってないとは思うが。

「しんたさん、いくつなんですか?」
若い人から、時々聞かれる。
以前は「チャゲアスや大竹しのぶと同い年」と言っていたのだが、最近はもっぱら「蓮池さんと同い年」と言っている。
「えーっ! 見えませんねえ。だって、顔が若いもん」
これはお世辞である。
いくら顔が若くたって、頭だけ見れば、実際の歳以上に見えるはずだ。

それはさておき、このサイトのタイトルや、日記に書いてあることを見れば、「この人、かなり歳を気にしているなあ」と思うかもしれない。
が、今までぼくは歳を気にしたことが、まったくない。
だから、お世辞とはいえ、若く見られるのだと勝手に思っている。
ぼくは、歳というものを、自分という活動の経過時間だと思っている。
生まれてから、ぼくはずっと自分をしている。
その意識の中で、45年がすぎただけのことだ。
その時その時、その場その場に、いつも自分がいる。
この先も、ぼくはずっと自分をしていくだけである。
言い換えれば、歳というのは、ぼくにとって、ただの飾りにすぎないのだ。
あくまでも主体は自分、飾りに振り回されるのは、まっぴらである。

ぼくは10代の頃、20歳になったら、自分の中で何かが変わると思っていた。
また、20歳になった日に、何かが変わったと思っていた。
だけど、何も変わらなかった。
19歳最後の時間に、ぼくはトイレの中にいた。
20歳最初の時間も、ぼくはトイレの中にいた。
20歳の変化をトイレの中で期待していたのだが、20歳の時間になったからといって、トイレの中の状況は何一つ変わらなかった。
ただそこには、日常が綿々と続いているだけで、そこには何も変わらない自分がいた。
それは、30歳になっても、40歳になっても同じことだった。
やっていることはいつも同じ。
目に触れるものを見、耳に触れることを聞き、肌に触れるものを感じ、心に触れることを思っているだけだ。
そこには確固たる自分が存在している。
そう、自分はいつも自分なのである。

ぼくは昔から、ポパイの『おれは、おれで、だからおれなのさ』というセリフが好きである。
天上天下唯我独尊の姿勢が実にいい。
この人も、おそらく歳を気にしてはいないだろう。
だから、ああいう爺臭い顔をしていても、オリーブを愛していけるのだろう。
願わくば、この先もぼくは歳を気にしない、歳に振り回されない人間でいたいものである。

そういえば、最近ギターを弾いてない。
前はカチカチだった右手の指先が、今はふにゃふにゃになっている。
指使いなどは体が覚えているだろうが、もはやそれに耐えられるだけの肉体ではなくなっているということか。
まあ、10分も弾いたら、もう押さえることは出来ないだろう。

そういえば、元憂歌団の内田勘太郎さんは、普段イメージトレーニングはやっているが、ギターには触れないと言っていた。
お客の前で弾かないと、集中できないのだそうだ。
そこがプロたるゆえんだろう。
ぼくのようなギターをかじっただけの人間は、誰もいないところでやる時は集中できるが、人を前にすると集中できなくなる。
大勢の人を前にするとなおさらで、心臓はバクバクし、ひどい時には吐き気さえ催してくる。

15年ほど前に、よく通っていたパブがあった。
生演奏でうたわせてくれる店だったのだが、そこで初めて歌をうたった時はひどかった。
イントロが始まったとたんに胃が痛くなった。
その痛みが緊張からきているのはすぐにわかった。
が、どうしようもない。
もう演奏は始まっている。
何とか1番を歌い上げた後に、気分が悪くなって座り込んでしまった。
その上、緊張をごまかすために大声を張り上げたので、のどまで痛くなっている。
カラオケならリモコン一つでキャンセルすることも出来るのだが、生演奏だとそう簡単にキャンセルするわけにはいかない。
「どうしよう」と思っている時だった。
ぼくの異変に気がついたバンドのボーカルの人が、2番を歌い出したのだ。
それで安心したのか、胃の痛みも治まってきた。
何とか立ち上がり、ボーカルの人といっしょに歌った。
その後、ぼくはどこでうたっても、あまり緊張することはなくなった。
が、立ってうたうのは相変わらず苦手である。
人の結婚式などでうたう場合などには、必ずギターを持っていき、それを口実に、座ってうたわせてもらうようにしている。

ところで、あのジョン・レノンは、ライブの前に吐いていたという。
まあ、繊細な神経の持ち主だったというから、あながち嘘だとは言えないだろう。
ビートルズがコンサートをやらなくなった原因は、きっとその辺にもあるのだろう。
しかし、ああいう人でも、緊張するのだろうか。
それを考えると、ぼくのような男が緊張しているなどというのは、人様に対して失礼なことである。
何も期待されていない人間が、勝手に緊張している姿というのは、滑稽この上もない。
いくら歌がうまいだの、ギターがうまいだの言われてチヤホヤされても、所詮は趣味の範疇でしかない。
本音のところは、誰も何も期待してないのだ。
緊張するだけ損である。

思えばよく揃えたものだ。
書棚5台分のコミック。
そのほとんどを、ここ6年間で買った。
手塚治虫から買い始め、長谷川町子、白戸三平、横山光輝、水木しげる、つのだじろう、楳図かずお、つげ義春、鴨川つばめなど、学生時代によく読んでいた懐かしいマンガ家のものを買い漁った。
その後は、小林まこと、さくらももこ、西岸良平、弘兼憲史、浦沢直樹といった現役作家のものを買い続け、現在に至っている。
実家のどこかに、小学生の頃に買った『サイボーグ009』や『おそ松くん』、中学の頃に買った『男一匹ガキ大将』や『天才バカボン』、高校時代に買った『水滸伝』、東京にいた頃に買った『エースをねらえ』や『三国志』など、かなりの量のコミックが眠っているはずだから、全部出すと、書棚があと2,3台は必要になるだろう。

パソコンを持つ前は、歴史書に加えて、これらのコミックも読んでいた。
日記に中断されることがなかったから、どんなにマンガでも一気に読んだ。
そのせいで、徹夜することもしばしばあった。
「しんちゃん、眠そうな顔しとるねえ。昨日飲んだんやろ?」と聞かれても、「いえ、昨日は徹夜して、マンガ読んでました」などとは言えない。
「いい歳して、何がマンガか!」と言われるのがおちである。

何でそんなにマンガが好きなのか。
それは、ぼくがマンガ世代だからである。
そのおかげで、マンガは活字に劣る、といった偏見を持たずにマンガに接することが出来る。
マンガの良さがわからないと言う人がいる。
これは悲しいことだ。
名作と言われているマンガを、「所詮マンガだからね」の一言で読まない人がいる。
これもまた悲しいことだ。

ところで、今はどうか知らないが、ぼくが小学生の頃は、学校にマンガを持って行くのは禁止されていた。
しかし、ぼくのカバンの中にはいつもマンガが入っていた。
休み時間に読むと、「先生、しんた君は学校にマンガを持ってきています」とチクる奴がいるので、みんなが黒板に集中している授業中に、こっそりと読んでいた。
よく「しんたは授業中、突然笑い出す」といって『変なヤツ』扱いされていたが、実はマンガを読んで笑っていたのである。
そんなこと口が裂けても言えないから、『変なヤツ』扱いを甘んじて受け入れていた。

今のように日記に追われる以前は、結構深くマンガを読んでいた。
そのおかげで、元気や勇気をもらったこともある。
人生観が一変したこともある。
深い哲理に触れたこともある。
最近はそんな読み方が出来ない。
そんな読み方をする時間がない。
じゃあ、そんな読み方を邪魔するパソコンをやめればいいじゃないか、と思われるかもしれないが、いったんハマったものを、そう易々と捨てるわけも行かない。
パソコンを扱うようになってから、失ったものものは多い。
が、得たものも、また多い。
と言えるだろう。

ホームページを始めてから、ぼくの睡眠時間は確実に短くなった。
立ち上げた当初は、「日記を書き終わるまで寝らん!」という信念を持って日記を書いていたので、4時になろうが5時になろうが、書き終わるまで寝るようなことはなかった。
そのため、体調を崩すこともよくあった。

その反省をふまえて、最近は午前2時までに日記が出来なければ、翌朝に持ち込むようにしている。
ところが、昨日は朝が早かったり、こけたりしたせいで、11時をすぎた頃から居眠りを始めた。
居眠りから覚めて、時計を見ると、まだ12時半である。
以前なら「さあ、頑張って書くぞ!」という意気込みでパソコンに向かったのだが、昨日はそこで諦めてしまった。
「もうだめばい。寝ろ」と思い、寝てしまった。
そのために、朝、会社に出かける寸前の更新になってしまった。
今後は、こういうことが多くなるだろう。

さて、ホームページを始める前、というより、パソコンを持つ前は、だいたい12時から1時の間に寝ていた。
その時間まで何をやっていたのかというと、本を読んでいたのである。
その当時は、歴史書が主な読み物だった。
昭和史が中心だった。

昭和史に関しては、いろんな人の本を読んだものだ。
一連の昭和史を読んで、今まで習ってきた昭和が、いかに嘘で固められたものかというのがよくわかった。
政府や軍の主導で行われたと教えられた先の戦争も、元はといえば、当時の国民の世論から発したものだった。
その世論を生んだのが、アメリカの謀略だった。
しかし、そうし向けたのは中国国民政府だった。
その中国国民政府がそうし向けた原因は、中国共産党にある。
その中国共産党の元は、ソビエト連邦だ。
結局、日本とアメリカという二つの防共大国は、その本来の共通の敵であるソビエトに踊らされていたのだ。
その一方の防共大国が戦闘能力を失った時に、ソビエトは満州を南下、朝鮮半島まで進出してきた。
日本としては、江戸幕府や明治政府が恐れていた『ロシアの南下』が、現実のものになってしまったのだ。
一方のアメリカは、戦友となるべき日本を自分の手で潰したために、本来の敵である共産主義と、一国で戦わなければならなくなった。
その結果が、38度線だ。
その結果が、ソビエトから派遣されたペテン師、金日成だ。
その結果が、親愛なる将軍様、金正日だ。
その結果が、拉致問題・核開発・ミサイル・飢餓だ。
その結果が、ワイドショーだ。
その結果が、『頑張る40代!』だ。

上に書いたことは、もちろん教科書には書いていない。
というより、教科書に書いていても、日本史の授業で、そこまで行くことはまずない。
だいたい5.15事件か2.26事件くらいで、3学期が終わってしまう。
ところが、書かなくていいことはしっかりと書いている。
南京虐殺、創氏改名、強制連行、従軍慰安婦・・・。
あちらの言い分のオンパレードである。
中国にしろ韓国にしろ、元はといえば、北朝鮮と同じ儒教国である。
儒教の教えは仁義である。(仁=他に対するいたわりのある心,義=人のおこないが道徳・倫理にかなっていること。 以上『大辞林』より)
老子曰く『大道すたれて仁義あり』。
仁義が行き届いていれば、仁義という言葉はいらないのである。
仁義がないから、「仁義、仁義」と声高に叫ぶ。
儒教国、つまりは仁義のない国である。
礼を逸した国。
言いがかりをつけて金をむしり取ろうとするたかりの国。
そんな国に弱腰で臨むこと自体がおかしい。
明治期の外交のように、毅然とした態度で臨めばいいのだ。

と、まあ、パソコンを持つ前は、本を読みながら夜な夜なこういうことを考えていたのである。

今日は早出だったため、8時過ぎに会社に着いていた。
売り出しの準備が一通り終わって、暇をもてあましているところに、隣の売場のKちゃんがやってくるのが見えた。
Kちゃんはぼくに気づいてない様子だったので、ぼくはKちゃんの売場に行って、身を隠していた。
Kちゃんが売場に入ってきたら、脅かしてやろうと思っていたのだ。

こういうのはタイミングの問題である。
Kちゃんとの間合いを測り、Kちゃんがちょうどいい位置に来た時、ぼくは猛然とダッシュした。
ところが、遭遇する予定の場所にKちゃんはいない。
「えっ!?」と思い、Kちゃんを目で探した。
その時だった。
ツルッ!。
まさしく「ツルッ」という感触だった。
右足が滑ってしまったのだ。
ダッシュで勢いづいているぼくの体は、野球のランナーが滑り込むような姿勢で倒れ込んだ。
倒れ込むと同時に、左足が、前にあったショーケースを蹴っていた。
「ドターン!!」という大きな音がした。
この音にはKちゃんだけでなく、周囲にいた人全員が驚いた。
まあ、当初のKちゃんを驚かすという当初の目的は達成したのだが、おかげで今つらい思いをしている。。
受け身をとったので、頭や背中を打たなくてすんだのだが、久しぶりの受け身で肩を痛めてしまったのだ。

学生時代は柔道で倒し倒されを毎日やっていたので、転ぶようなことがあっても大したことはなかった。
自転車で事故にあった時も、5メートルほど飛ばされたにもかかわらず、かすり傷を負った程度ですんだ。
後日後遺症の出るようなこともなかった。
しかし、柔道をやらなくなってから、もう20年以上になる。
当然、転ぶコツも忘れている。
受け身のとりかたも下手になっている。
体も硬くなっている。
今回は、骨に異常はなさそうだから、日常生活には支障がないとは思うのだが、じめじめした痛みと闘わなければならない。
さて治るのにどのくらい時間がかかるのだろうか。

そういえば、最近理由もなく痛みが走ることがよくある。
突然痛みに、その時は「何でだろう?」と首をかしげているのだが、後日その痛みが、その何日か前に打撲していた箇所だったり、何日か前の運動疲れだったり、ということを思い出す。
痛みの伝わり方が遅いのも困ったものだが、その原因をすぐに思い出せないというのは、もっと困ったものである。
ああ、歳はとりたくない。

若い頃、ぼくはよく「お前は、優しすぎて押しが利かないから、販売は不向きだ」と言われていた。
彼らは一様に「何が何でも売ってやろう、という気概を持っている人こそが、販売人向きだ」と言うのだ。
ぼくは決して優しい人間ではないが、そう言われるたびに「優しいことがどうしていけないんだ。口ではいつも『お客さんには、常に優しい気持ちで接しましょう』と言ってるくせに」と思い、憤慨していた。

しかし、優しい云々は別として、ぼくは『何が何でも・・』という考え方は嫌いである。
「じゃあ、自分なりの販売の仕方をしてやろうじゃないか」と考え出したのが、個性を売り物にする販売方法だった。
商品の説明をするわけではない。
無理強いもしない。
ただ、淡々と自分を売っていくのだ。
この方法だと、広く浅くという売り方は出来ないが、特定のお客さんと深いつながりができ、そのお客さんからいろいろな情報を得ることが出来た。
この方法で、例の『押し人間』と対等に渡り合っていたのだから、ぼく向きの販売方法だったと言えるだろう。

この『何が何でも』という考え方とよく似た考え方に、『人を押しのけても』という考え方がある。
もちろん、『優しすぎる』と評されたぼくにとっては、嫌いな考え方である。
前の会社にいた時、そういう考え方の人がけっこういた。
ぼくが接客しようとすると、横から割り込んでくるのだ。
そして、「しんちゃん、このお客さんはおれに譲って」と言う。
『人を押しのけても』人間でないぼくは譲ってやったのだが、あまりいい気持ちはしない。
しかし、そういう考え方の持ち主というのは、得てして他人を気にしているものである。
他人の言動に、いつもビクビクしているようにも感じる。
中には人を押しのけといて、後でフォローしてくる馬鹿もいる。
「悪かったね。知っている人かと思ったけ」などと言い訳している。
どう見ても、知っている人に接している雰囲気ではなかった。
みっともない奴である。
言い訳するくらいなら、最初からそういうことをしなければいいのだ。

ぼくはかつて、こういう人は、高度成長時代やバブル期の産物かと思っていた。
しかし、バブルがはじけた今でも、この『何が何でも』や『人を押しのけても』人間には、たびたびお目にかかる。
こういう人を相手にすると、実に疲れるものである。
別にそういう人がいてもいいのだけど、ぼくには関わらないでほしいものだ。
ぼくは決して優しい人間でも、寛容な人間でもないから、そういう人たちを、顔色を変えずに受け止めることが出来ない。
先にも言ったが、そういう人たちは神経質だから、ぼくの顔色が変わったことぐらいすぐにわかるだろう。
さらにぼくは、何が何でも、そういう人には一言言わないと気がすまない性格である。
また、人を押しのけても、気に入らない人には毒づく人間である。
傷つくのはあんたたちだ。

先日、ワイドショーを見て大笑いした。
特に笑うような内容ではなかったので、そのことについて出演者は何もコメントをしなかった。
しかし、ぼくには充分笑える内容だった。

何がそんなにおかしかったか。
それは、蓮池さんのお兄さんが、例のシャッターの前で記者団に囲まれていた時に、最後に発した言葉だった。
「(弟に)、『七三分けはやめな』と言いました」
いつも冷静沈着なお兄さんだから、別に笑いをとろうと思って言ったのではないだろうが、案外その発言は、彼一流のギャグだったのかもしれない。
その発言に関して、お兄さんは何も説明を加えなかったので、その辺のところはわからないが。

さて、なぜぼくがその発言で笑ったのかというと、別に蓮池さんの七三分けが似合わないからではない。
北朝鮮当局は、日本に帰国させる5人を、日本国民に、裕福で幸せに暮らしていると思わせるために、彼らに精一杯のおしゃれをさせたはずである。
北朝鮮では一番のおしゃれだろう。
髪型も、平壌で一番の美容院で整えたはずである。
その結果が、あのタラップから降りてきた時の、スタイルだったのだ。
しかし、服装はともかく、あのヘアスタイルを見たほとんどの人が、「ダサイ」と思ったはずである。
センスのいいお兄さんのことだから、タラップを降りてくる弟の姿を見て、きっと「あっちゃ~」と思ったことだろう。

おそらく、先の「七三分けはやめな」発言は、弟に対してではなく、北朝鮮に対しての痛烈な皮肉だったに違いない。
「いくら偉そうなことを言っても、所詮それだけのファッションセンスしか持ち合わせていない国じゃないか」
お兄さんは言外に、そう言いたかったのだろう。

そういえば、ぼくが小学生の頃、髪を真ん中から分けることを『朝鮮分け』と呼んでいた記憶がある。
どうして真ん中分けが『朝鮮分け』になるのかわからないが、確かにその頃は、そう呼んでいた。
それはさておき、小学生の頃、ぼくの周りのほとんどは『坊ちゃん刈り』をしていた。
しかし、中には横分けしている奴もいた。
横分けすると、馬鹿な奴でも賢く見え、貧乏人でも金持ちの子に見えたから不思議である。
ぼくも横分けに挑戦したことがあるのだが、額の上のツムジがじゃまをして出来なかった。
髪が硬いせいで、ツムジのところが浮いてしまうのだ。
ということで、いまだにぼくは前髪を垂らした、小学生時代の延長のようなヘアスタイルである。
強いて名前を付ければ『中年坊ちゃん刈り』となるのだろう。

ぼくは昔から、髪をくしやブラシでとく習慣がない。
寝癖がついている時にブラシでとくぐらいで、その他の時は、何もしないか、手ぐしである。
また、ドライヤーも20代と30代前半は使っていたが、20歳までと30代後半以降は使っていない。
髪を伸ばしていた時期は、髪を洗った後、犬のように頭を振って水を切っていた。
髪が長くない今、タオルで軽く拭いた後は、自然乾燥である。
ドライヤーを使っていた頃はいつもつけていた整髪料も、今は全然使っていない。

テレビでは毎日、北朝鮮の異常な性格の持ち主である指導者の、豪勢な暮らしぶりを紹介している。
それとは対照的な、飢餓にあえぐ国民。
そういうものを見せつけられるたびに、いつも憤りを感じている。
そういう時、ぼくのようなヘアスタイルに無頓着な者でも笑ってしまう、『朝鮮七三分け』は貴重であるといえる。
今までは『北朝鮮ウォッチャー』だったが、これからは視点を変えて、『七三分けウォッチャー』でいこうと思っている。
それにしても、北朝鮮はいろんな意味で、話題に事欠かない国である。

「親友」

君と遊んでいたのは、いつの頃からだっただろうか。
時々けんかもしたけど、
ぼくらは仲のいい友だちだった。
小学校でのいたずらも、
廊下に立たされた時も、
いつもぼくらはいっしょだった。
奇妙なノリの中で
ぼくらはつき合っていた。
奇妙なノリの中で
ぼくらは目立っていた。

中学の頃だったろうか。
ぼくは君と話すことに、
なぜか心苦しさを覚えた。
おそらく君もそうだったのだろう。
その時から君とのつき合いを
空々しく感じていった。
いっしょに学校に行ったことも、
同じクラスになって、抱き合って喜んだことも、
おそらく『親友』という言葉がさせた
行為だったのだろう。

その後ぼくらは別々の道をたどった。
つき合いも以前ほどではなくなり、
『親友』という言葉の魔力も次第に失せていった。
ことあるごとに『親友』を強いる君に
嫌悪感を抱いていたぼくだったが、
いつしかそんな感情も薄らいでいった。
とりあえず今は、君との縁も消滅している。


上の詩の「君」は決してぼくの「親友」ではない。
彼がぼくを「親友」と呼んだのは、つき合いが長かったからである。
つき合いと言っても、小さい頃から近くに住んでいたので、いっしょに遊んでいただけの仲でしかない。
中学になり、高校になり、彼がぼくの力になってくれたとか、ぼくが彼の力になってあげたということは一度もなかった。
また、膝を交えて語り合ったこともない。
いっしょに遊ばなくなった彼は、ぼくにとっては「かつて友だちだった人」にすぎない。
ぼくにとってそれだけの存在の人間なのに、彼は、ぼくが昼寝をしている時、勝手に家に上がり込んできて、たたき起こしたり、誰も許可してないのに、勝手にぼくの本を持ち出したりした。
そのことを追求すると、「いいやん、親友なんやけ」と言う。
人の家に勝手に上がり込むことや、人の本を勝手に持ち出すことは、親友のすることではない。

ぼくは小中学校のつき合いより、高校時代のつき合いの方を大切にしている。
別に意識してそうしているのではなく、自ずと高校のつき合いのほうに行ってしまうのだ。
ぼくは、43年間同じ場所に住んでいるが、成人して以降は、この場所で小中学時代の友だちに会ったことがない。
近くに大型のショッピングセンターがあるので、そこで会ってもよさそうなものだが、それもない。
いったいあの頃、ここに住んでいた人たちは、どこに行ってしまったのだろう。
小中学校の同窓会のお誘いがあるわけでもない。
というより、そういうものの企画すらない。
「どうしてますか?」というような電話もない。
個人的に飲みに行くようなこともない。
幼なじみの、その後の動向も知らない。
知っているのは、死んだ奴のことだけである。
それも風の噂で、である。

現在ぼくは、先の「君」に限らず、小中学校時代の友だちだった人たちとは疎遠になっている。
しかし、これはぼくだけに限ったことではない。
人の話を聞くと、皆そういうものらしい。
やはり、誰もが異口同音に、小中学校時代よりも、高校時代のつき合いの方が大切だと言う。
高校の同窓会にはよく行くが、中学校の同窓会には行ったことがないと言う人が多い。
幼い頃いっしょに遊んだ友だちよりも、多感な時期に語り合った友だちのほうが、よりつき合いやすいのだろう。

今後、小中学校の同窓会があれば行ってみようとは思っている。
が、特に会いたい人などはいない。

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