吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2002年10月

「やはりおかしい」
繋がらなくなって、もう3日が経過してしまった。
このままでは埒が明かないので、もう一度NTTに連絡してみた。
とりあえず、116番にかけてみると、フレッツ・カスターマーズセンターがあるから、そちらに連絡してくれ、ということだった。
そちらのほうに連絡を取ってみると、「さっそく調べてみましょう」との返事。
数分後、NTTのほうから携帯に、折り返し電話が入った。
「ADSLが切れてますねえ。装置を取り替えますから、家に帰ってから繋がっているかどうか確認して下さい。もし、まだ繋がらなかったら連絡して下さい。24時間応対していますので」

家に帰ってから、さっそく繋いでみたが、相変わらず繋がらない。
もう一度カスタマーズセンターに連絡を取った。
「おかしいですねえ。こちらのモニターでは繋がっているようになっているのですが。一度モデムの電源を切ってみて下さい。その際パソコンも再起動させて下さい」
電話を切ってから、ぼくはカスタマーズセンターの人の言うとおりにやってみた。
繋がった。
繋がるのが当たり前なのだが、何日も繋がらなかったので、何か初めてパソコンを使うような、新鮮な気分になった。
その後、LANケーブルを換えたり、パソコンを移動したり、何かと忙しかった。
気がついたら、午前3時を過ぎていた。

ということで、今日は経過報告だけしか出来なかった。
それでは、あんまりなので、以下を付け加えました。


カトリ
「よし、あと一勝で日本一だ! 一人一人が役割をきっちりこなせば、優勝は間違いない」
選手
「おう!」
ハラ
「あのう・・。ぼくは何をしたらいいのかなあ?」
カトリ
「監督は、勝利監督インタビューの台本作りとか、胴上げのポーズの研究とか、いろいろとやることがあるでしょ? カメラがベンチを映したら呼びますから、じっとしといて下さい」
ハラ
「おう!」


10月26日
ツツミ「イハラ君、私は松坂で始まり、松坂で終わるようなシリーズを望んでいる」
イハラ「わかりました」
10月30日
ツツミ「よくやった」
イハラ「・・・」


アベシン
「ドイとカンは間抜けだ」
ドイ
「私は間抜けではない」
シマダ
「あんたは腑抜けだ」
カン
「ぼくも間抜けではない」
カン夫人
「でも、脇が甘い」
キ○タク
「ぼくは脇が臭い」
シズカ
「私は蓄膿かもしれない」


将軍様
「日本政府が引田天功を連れてきてくれたら、家族を永住帰国させる用意がある。(もう喜び組は飽きた)」
息子
「日本政府がおれの入国を認め、東京ディズニーランドに行かせてくれたら、親父を説得する用意がある。(もう東南アジアは飽きた)」
ヘギョンの父親
「日本のテレビがおれを出してくれたら、ヘギョンを日本に行かせる用意がある。(もう名前だけの存在には飽きた)」
赤十字会
「おれたちをホテルから出してくれたら、養老牛丼を食べに行く用意がある。(もう吉野家は飽きた)」


朝鮮中央放送大物女性アナウンサー
「シーンアイナル、キム・ジュオーンイルチドーチャトンジ、ノーランシャスイーブン、マロヌンクサラミ。オジャパメン、ナネガミヨジョソ。トラワヨプサンハンエ。アンニョンハシムニカ。カムサハムミダ!!」(怒)

今日、NTTに電話をかけ、さっそく来てもらうことにした。
しかし、モデムに異常はないとのことだった。
とりあえず、LANケーブルを買って帰り、繋ぎ変えてみた。
が、相変わらず、ほとんど繋がらず、時々繋がる状態が続いている。

一つだけわかったことがある。
それは、モデムのLANランプが点いてない、つまり、今までのLANケーブルは死んでいたのだ。
まあ、今度いつ繋がるかわからないけれど、気長に状況を見ていこうと思っている。
まあ、いつか正常に戻るだろう。

正常。
ああ、今日は日朝交渉の最終日だった。
だいたい予想したとおりの展開・結果だったようだ。
あくまでも北は、「(日本がああまで言うから)仕方がない。正常化してやるか」というポーズをとりたいのだろう。

ところで、最近マスコミは肝心なことを隠しているんじゃないか、いや、言いたくても言えないことがあるんじゃないか、と思えることがある。
例の少女、ヘギョンのことである。
だいたいあの国で、15歳の小娘が一人で空港に行くというのがおかしい。
ただでさえ自由に歩行できない国なのに、北にとって重要な拠点であるピョンヤン空港に行けるはずがない。
小娘が一人で、「じいちゃん、ばあちゃんに会いに来ました」と言ってやってきたら、そこを警備している兵士に詰問され、追い返されるか、悪くすれば逮捕されるだろう。
しかし、彼女はちゃんと空港まで来ている。
国家の作戦だと言ってしまえばそれまでだが、それなら誰か付き添いがそこにいたはずである。
だが、それが誰であるかを政府やマスコミは言わない。
これはおかしい。

単独インタビューの時、彼女は中学5年生だと言った。
あの国では通常、中学生といえば、例の赤いスカーフみたいなのを首に巻いているはずである。
しかし、彼女は私服で出ていた。
あれも国家の作戦か?
北の人はみないい服を着ている、というふうに見せるための宣伝だったのか。
なぜそこをマスコミは突っ込まないのだ。
聞きたくても聞けない理由でもあるのだろうか。

さらに言えば、なぜあの子は「偉大なる将軍様の配慮で」という枕詞を使わなかったのだろうか?
この枕詞を言わなかったがために、収容所に送られた人がかなりの数いると聞いている。
あの子は北では、特に成分が悪いと言われている、日本人とのハーフである。
一発で収容所送りのはずである。
それなのに、なぜ彼女は言わないのだ?
日本では評判の悪い言葉だから、決して言うことのないように、と指導でも受けたのだろうか?
そこをマスコミは、なぜ突っ込まないのだ。
おかしいではないか。

実は、マスコミの人は、うすうす感じているのだ。
ヘギョンの出自を。
しかし、確証がないから言えないのだ。
それは、先週号の週刊新潮の記事を見てもわかる。
ああいう回りくどい言い方しか、今は出来ないのだろう。
なぜ、父親が出てこないのか。
ただ単に出せない人物からなのだろうか。
そうだったとしても、出ないと不自然だから、本物は出さないにしろ、替え玉を出してくるはずだ。
替え玉を使ったりすることくらい平気でやる国である。
しかし、それをしない。
なぜだ?
ぼくが思うに、その父親があまりにも恐れ多い人物だからだ。
もしそうだとすると、日本人は毎日ヘギョンの父親をテレビで見ていることになる。
メガネをかけた、あの人を。

昨日からADSLの繋がりが悪い。
そのせいで、昨日の日記の更新が今日になってしまった。
午前11時頃、ようやく繋がったので更新は出来たが、それ以外の時間帯はほとんど繋がらなかった。

何が悪いのかはわからない。
プロバイダを変えてみても同じであるから、プロバイダのせいでもない。
かといってパソコンが悪いせいでもない。
時々は繋がるのだ。
ということで、考えられるのはADSLしかない。
そういえば、うちのパートさんも繋がりが悪いと言っていた。
パートさんのところは、ヤフーBBである。
ぼくはフレッツだが、それはあくまでもプロバイダ的な違いだけで、使っている回線はどちらもNTTのものである。
しかし、NTTからは何も言ってきてはないし、サイトを調べても、その件については一言も触れてない。

困るのは今日の日記である。
どうかして更新したいと思っているのだが、その術がない。
ダイヤルアップで繋ごうにも、ADSLにした時点で、もはや必要ないと思いモデムをはずしてしまっている。
携帯で繋ぐという手もあるが、携帯に接続するケーブルを持ってない。
朝起きた時に繋がっていれば、問題はないのだが、もし繋がらなかった時は更新が夜になってしまう。
どうしよう。

こういう時、ノートだと便利だ。
携帯に接続するケーブルが、付属でついているものもある。
エディタに書いて、後は送信するだけだから、それほど通信費もかからないだろう。
「買ってしまおうか」
しかし、そうそう簡単に買えるような額ではない。
今の経済状態からすれば、余裕を持って買うまでには、あと3年はかかるだろう。
そうなれば、この日記は3年後に更新されることになる。
その頃には、ADSLはもう過去の産物になっているだろうから、3年後にこの日記を読んだ人は、「ADSL・・・? ああ、何年か前に流行ったなあ。しかし、何を今頃言ってるんだ」と思うに違いない。

さて、朝になった。
相変わらず繋がらない。
会社に着いたら、NTTのほうに問い合わせてみよう。
しかし、きっと「おかしいですねえ。そんなことはないはずですが。お宅のパソコンがおかしいんじゃないですか?」言うにきまっている。
いつもそうである。
ISDNを申し込んだ時は、半年近くも待たされた。
どうなっているのか、と問い合わせてみると、「おかしいですねえ。受け付けた形跡がないんですが」という返事だった。
さらに「調べてみます」と言うので、ぼくは「調べなくていいですから、今受け付けてください」と言った。
すると、「ああ、今からだと、開通は2ヶ月先になりますねえ」という返事だった。
結局、ISDNを申し込んでから開通するまで、8ヶ月を要してしまった。
またそういうことにならなければいいが・・・。
とにかく問題は、この日記をどうやって更新するかということだ。

よくスーパーマーケットに行くと、ショッピング・カートが置いてある。
もちろん、うちの店にも置いてあるのだが、今日そのショッピング・カートを見て、ふと思ったことがある。
うちの店には、大・中・小と三つの種類のカートがある。
そのうち、大と中は子供を座らせることのできるタイプだ。
カゴの後部、ハンドルの下あたりに折りたたみの簡易イスがついている。
子供を乗せる場合は、その折たたみの部分を倒し、子供を後ろ向きに座らせる。
簡易イスには、うしろに倒れないように背もたれがついている。
また、ショッピング・カートから落ちないように、子供の股の部分に5cm幅のガードがついている。
子供はそのガードを股に挟んで、ショッピング・カートを押す人の前で足をぶらぶらしている格好だ。

さて、ぼくが気になったのは、子供の股の部分の5cm幅のガードだ。
女の子の場合は問題ない。
しかし、男の子の場合は問題だ。
もし、このカートが電線などを踏んだ場合のことを考えて欲しい。
電線の段差の刺激がショッピング・カートに伝わる。
当然その刺激はガードにも伝わる。
さらにガードに伝わった刺激は、股間に伝わる。
ああ、考えただけでも痛い。
よく子供は我慢できるなあ。

ぼくは小さい時から、よく股間部分を打って、死ぬ思いをしてきた人間である。
覚えているのは、小学校5年の頃、家の前の広場で野球をしていた時だった。
ぼくはその時ピッチャーをやっていたのだが、何回の守備の時だったか、相手チームのバッターが、ピッチャー返しをやってくれた。
投げた次の瞬間、その球は勢いよくぼくの玉に当たった。
内野安打である。
ぼくはタイムをとり、しばらくの間声も出ず、必死に痛みをこらえていた。
こういう時、なぜか「大丈夫か?」などと声をかける奴はいない。
決まってみんな笑うのだ。
当たったほうは死ぬ思いをしているのに、よく笑えるものだ。

プロ野球でも、キャッチャーの股間に球が当たり、苦しむ場面を目にすることがある。
トレーナーが駆けつけ手当てをしているのだが、その間ベンチは心配しているのかといえば、そうではなく、監督以下ニヤニヤと笑っている。
「あらー、球が当たった。あれ痛いんだよなあ」
などと言って、思い出話でもしているのかもしれない。

柔道に『内股』という技がある。
相手の内股を足ですくう技である。
しかし、ヘタクソな人はこの技を、股間を蹴上げる技だと思っている。
当然股間直撃である。
ぼくの相手はヘタクソしかいなかったのか、よくこの技で泣かされた。
中には、かかとで蹴上げる奴もいた。
これはたまらなかった。
内出血してしまい、1週間ほど患部は青黒くなっていた。
下着が擦っただけでも痛く、この痛みが引くまで、しばらく変な歩き方をしたものだった。

一度柔道の団体戦の時に、蹴上げられたことがある。
この時も痛かった。
審判が苦しんでいるぼくのところに寄って来た。
「大丈夫か」と聞いてくるのかと思いきや、なんと彼のはいた言葉は、「はい、飛んで」だった。
もちろん、股間を打った時は、飛ぶことがいいのはわかっている。
しかし、声も出ず、体を動かすことさえ苦痛な状況で、すぐさま飛べるものではない。
ぼくは手を上げ、「待ってくれ」というゼスチャーをし、痛みが回復するまで必死にこらえていた。
もちろん、ぼくのチームのメンバーは、笑っていた。

さて、ショッピング・カートに話を戻すが、だいたいショッピング・カートにイスをつけること自体が間違っている。
子供がいると、いろいろとわずらわしいという理由から、そういう便利なものを開発し、利用者も重宝がるのだろう。
しかし、これでは、痛みに耐える人間は育成できても、自分を守れる人間は育たない。
鍛えて鍛えられる場所ではないので、とにかくとっさによけるという反射神経を養うことが必要になる。
そのためには、子供を歩かせることが一番だ。
歩くことで、人は自ずと自分を守る術を身につける。
歩かせると子供が疲れるし私も疲れる、座らせると子供も楽だし私も楽だ、そういうことが結果的には虐待に繋がるということを知っておくべきである。

「あのう、今の歌、何という歌ですか?」
「黄昏のビギン」
それでぼくはピンと来た。
中森明菜の『歌姫Ⅱ』というアルバムに入っている歌じゃないか。
「誰の歌ですか?」
「水原弘です」
「中森明菜も歌ってますよ」
「ほう、明菜が」
「いい歌ですね」
「うん」

そういう話をしている時、ママさんがぼくの席にやってきた。
そして言った。
「あの人ね、前は歌手やったんよ」
「へえ」
「ほらここにも名前があるよ」
そう言って、ママさんはぼくにカラオケのメニューを見せた。
「ほら、ここ」
そこには、ぼくが聞いたことのない名前が載っていた。
『K.J』
「へえ」と答えておいた。
もしかしたら偽者かもしれない。
ちょっと古い歌手だし、一般には顔も知られてないような人だから、地方に行けばごまかせる。
元ヴィレッジ・シンガーズの清水道夫の例もあることだし。
しかし、そのおっさんが本人でも偽者でも、ぼくにはどうでもいいことだった。

ぼくのグループが仕事の話などを始めたので、ぼくはその『K.J』なる歌手のおっさんの横に移動した。
「歌手だったらしいですね」
「昔ですね」
「歌手なら先生ですね。いよっ、先生!」

「先生はどちらの出身ですか?」
「北海道です」
「東京に出て歌手になったんですか?」
「まあ」
「それから黒崎に来たんですか?」
「いや、博多に5年いましてねえ」
「で、黒崎に」
「いろいろありましてねえ」
「先生も苦労されたんですねえ」
ぼくが歌手のおっさんのことを「先生」と呼んだので、気分をよくしたのだろう。
「まあ、一杯やらんですか」と、ぼくに酒を勧めてきた。
その後もぼくは「先生、先生」と持ち上げたので、歌手のおっさんは完全にぼくを気に入ってしまった。
カウンターの中に入り、勝手に酒をついでは、ぼくに振舞った。
しかし、質の悪い冷酒だった。
これで、ビール、焼酎、ウィスキー、日本酒、と全部の酒を制覇したことになった。
もちろん、今日頭が痛かったのも、チャンポンで飲んだせいだろう。

帰るまでずっと、歌手のおっさんと話をしていた。
歌手のおっさんは話の中で、有名な歌手の名前を連発していた。
みな懇意らしい。

店を出たのは2時を過ぎていた。
タクシーで帰り、すぐに布団の中にもぐった。
日記は朝起きてから書いた。
会社に行く前に風呂に入ったのだが、頭の痛みはそれで引いた。
しかし、酒はまだ抜けなかった。
二日酔いというよりも、まだ酔っ払っていた。
おそらく、歌手のおっさんからもらった冷酒が効いたのだろう。
この酔いは午前中一杯続いた。
立っているのが辛く、歩くとフラフラした。
きっと周りの人は酒臭かっただろう。

しかし考えてみると、その状態で車を運転して行ったのだから、恐ろしいことである。
運転中に、並走車や対向車が、こちらに向かってくるような錯覚を何度か起こした。
会社に着いた時、よく死ななかったものだ、と一人で感激していたほどだった。
けっこうスピードを出していたから、ちょっとした運転ミスで大惨事になっていたかもしれない。
もしそうなっていたら、「また、福岡県の事故件数が増えた」と、福岡県公安委員会のおっさんを嘆かせることになる。

ところで、昨日飲んだグループとは、年内に何度か飲む約束をした。
次回は、ぼくの休みの前の日にして欲しいものだ。

今日は飲み会である。
今の店に移ってから、初めて早帰りをさせてもらった。
しかし、土曜日とはいえ、夕方の渋滞はひどいものだった。
普段20分もあれば、家に帰り着くのだが、今日は倍以上の50分もかかってしまった。
実際これがあるから、早帰りはしたくないのだ。
初めてとはいえ、これまでも何回か早帰りをするチャンスはあった。
「しんちゃん、今日早よ帰り」
と、何度か声をかけられたことはあるが、ぼくはそのつど断った。
理由は先に書いたとおり、夕方の渋滞が嫌いだからである。
例えば、8時に仕事をあがったとしよう。
この場合だとすでに夕方の渋滞が終わっているから、8時20分には家に着くことになる。
では、7時に帰った時はどうなるか。
今日のペースだと家に帰り着くのは、7時50分ということになる。
1時間早く帰っても、家に着くのは30分しか変わらない。
この時間のロスが、ぼくは嫌なのである。

と、ここまで書いて、ぼくは飲みに行った。
場所は焼き鳥屋だった。
ビールを特大ジョッキで1杯飲んで、それから焼酎のお湯割を5杯ほど飲んだ。
考えてみたら、その間、ウィンナー1串とうずらの玉子5串しか食べてない。
こういう飲み方をすると、翌日頭がガンガンするのはわかっている。
しかし、30年近くこの飲み方できているので、そう簡単に習慣を変えることは出来ない。
案の定、これを書いている今(27日になっている)、頭がガンガンしている。

1次会が終わったのは、11時を回っていた。
ここで一人が抜けた。
「明日仕事なので」ということだった。
しかし、同じく翌日が仕事の、ぼくは抜けない。
いつものノリで、次の飲み屋に行った。
ここで抜けていたら、今の頭ガンガン状態も、少しは緩和されていただろう。

2次会は、場末の小さなスナックだった。
ばあさんが一人でやっている。
お客は2人いたのだが、すでに1人は眠ってしまっている。
もう1人は暇をもてあまして、何度もぼくたちのほうを伺っていた。
いつもようにカラオケが入り、いつものように「しんた、歌え」が始まった。
あまり気乗りしなかったのだが、とりあえずリクエストに応えて拓郎の歌をうたった。
うたい終わると、暇をもてあました1人がぼくのところにやってきた。
60代半ばの男性だった。
「いい歌ですなあ。誰の歌ですか?」
「はあ、吉田拓郎です」
「ほう、拓郎がこんな歌をうたっていたとは知らなかった」
そして彼は「この歌知ってますか?」と言って、うたい始めた。
けっこう古い歌だった。
歌の題名は知らないが、どこかで聞いたことのある歌だった。
『どこで聞いたんだろう』と思っているうちに、歌は終わった。

免許の更新に行ってきた。
奇しくも蓮池薫さんと同じ日の更新になったわけだ。
ぼくは一度覆面パトに捕まっているから、今回は一般運転者扱いだった。
青色の免許証である。
まあ、5年有効だから、別に金色でなくてもいいのだが、捕まった時の状況が状況だけに悔やまれる。
その時の状況をノート(平成12年11月17日付)に書いている。
「・・・18キロオーバーだった。
左車線に入りたかったのだが、一台の車がなかなか入れさせてくれないので加速した。
するとその車は赤色灯をあげた。
覆面パトだった。
汚いよねー。
もっとも、相手も引け目を感じていたのだろう。
実際はもっとスピードを出していたと思うのだが、『メーターを68キロで止めておきました』と、温情をかけてきた・・・」
罰金は12000円だった。
点数は2ヶ月で戻ったのだが、当時はまだ道交法改正前だったので、「あーあ、次は有効期限が3年になるのか」と嘆いたものである。

今日一番緊張したのは、視力検査だった。
以前の更新の時、左目の調子が悪くて何度もやり直しをさせられたことがある。
「右」
「え、右ですか?」
「ああ、上」
「え?」
「いや、左」
「もう一度」
「下です」
全部言わせてもらった。
後ろが混んでいたので、検査員は何もコメントしなかったが、もし後ろに誰も並んでなかったら、「めがねを作ってから、もう一度来て下さい」と言われていたはずだ。
しかし、今回は大丈夫だった。
乱視の入っている左目はやはり不安定だったが、映像が揺れながらも、何とか見えた。
これで、また「眼鏡等」の条件を付けられずにすんだ。

さて、一般運転者の講習は1時間だった。
それも、「何時から」というふうに時間が決められていた。
前回は優良運転者の講習の時だったのだが、講習は30分で、別に「何時から」という規制はなく、好きな時に講習室に入ってよかった。
係員の応対も、今回は事務的だったが、前回は丁寧なものだった。

講習は最初から最後まで、「福岡県は事故件数、事故率ともに、全国1,2位です」ということばかり言っていた。
よほど、その順位が悔しいのだろう。
あたかもドライバーの運転やマナーが悪い、と言わんばかりだった。
しかし、それは警察の怠慢である。
ぼくたちのような、善良なドライバーのちょっとしたスピード違反を、目の色を変えて捕まえることばかりしているからそういう結果になるのだ。
もっと悪質な、それこそ事故に繋がりかねない、暴走行為を繰り返す兄ちゃんや、ベタ付け運転や割り込み運転を平気でする人こそ取り締まるべきだ。

一時間後、講習が終わり、免許証をもらった。
毎回、ぼくは免許証をもらった時には、本籍地や住所の確認よりも、まず写真を見てしまう。
ああ、今回は間抜けな顔をしている。
免許証の写真というのは、どうして変な顔に写るのだろう。
やり直しがきかないから緊張するのだろうか。
今日はそう思って、リラックスするように努めた。
その結果が間抜け顔である。

しばらく写真を見ていたが、「おや?」と思うことがあった。
鼻がおかしいのだ。
変な影がある。
「どうしたんだろう?」と思っていたが、そのうちふと思い当たることがあった。
先日風邪を引いて、小鼻に熱の花が出来たのだが、それがまだ完全に治ってなかったのだ。
この影が、間抜け顔に拍車をかけている。
あーあ、今日行くんじゃなかった。

昨日、先日行われた健康診断の結果がきたのだが、アホらしいので、封も開けずに会社の机の中に入れておいた。
ぼくにとって、健康診断の結果報告というのは、新聞や週刊誌に載っている「今日(今週)の占い」と同じなのである。
見てみたい気もするが、見たら疲れるだけだ。
だから、いつも見ないでいる。

さて、今日の夕方のことである。
ぼくは夕方になると、いつも「今日は何を書こうか?」と、その日の日記のことを考えている。
この日記『頑張る40代!』のテーマは、だいたい夕方出来上がる。
あとはそれに肉付けしていくだけの、安易なものである。
しかし安易だとは言うものの、何も思い浮かばない時もある。
今日はその日だった。
「さて今日は」などと考えているうちに、袋小路に迷い込んでしまった。

そんな時だった。
店長代理が、「健康診断の結果どうやった?」と聞いてきた。
「いや、別に興味がないから見てないです」とぼくは答えた。
「まあ、再検査要の紙が付いてなかったけ、大丈夫やったんやろうね」
「そうですね。検査の時、特に何か言われたわけでもないし。仮に何かあっても、再検査なんかしませんけどね」
『そうか、その手があった!』とぼくは思った。
これで今日の日記のテーマが決まったのである。
今日はぼくの健康状態を赤裸々に述べていくことにしよう。

まず報告書を開いてみると、性別と年齢と生年月日が書いてある。
そんなことわかっているのだから、別に書かなくてもいい。
それとも、今年と来年とでは、年齢以外の箇所が変わるとでもいうのだろうか。
今年男だった人間が、来年女になるのか。
そうじゃないだろう。
おかまになっても、法律上は性別は変わらんわい。
まあ、生年月日は変わってもいい。
毎年「生年」が増えていけば、若返るということだから。
ところで、年齢のところだが、「44歳」となっている。
何かピンとこない。
年齢だけ見ていると、他の人の報告書を見ているような気がしてくる。
やはり、年はとっていくものだ。

「身長177,3cm」
これは手抜きせず、毎年測ってもらいたいものだ。
もしかしたら、まだ背が伸びているかもしれないじゃないか。
こっちだって、O脚を直して180cmの大台に乗せたいと必死に努力しているのだから、その成果をぜひとも知りたいものである。

「体重80,4kg」
生まれて初めて、80kg台に乗ってしまった。
おそらく、運動不足と、毎日のオロナミンCとアイスクリームが祟っているのだろう。
しばらくやめだ!

「視力右0,7 左0,7」
これは前にも書いた。
最近「マジック・アイズ」という本を買い込んで、寄り目の練習をしている。
毎日5分の練習で、視力が回復するらしい。
これを1年続けて、来年はリベンジだ。

「最大血圧152 最小血圧90」
これが問題だ。
健康診断が終わった後で、店の血圧計で測ってみたのだが、最大値が135、最小値が85だった。
何度やっても同じだった。
こうなれば、健康診断用の血圧計を疑うべきだろう。
ぼくは、健康センターが使っていたのと同じテルモ製で測ったのだから。
機械に異常がないのなら、電池を替えろ!

コレステロール、中性脂肪、どちらも「基準値内」
中性脂肪は、2年前は基準値ギリギリの148だったが、今年は95に減っている。
ぼくは中性脂肪というものが、どういうものかを知らない。
また、それが多かったら、どういうふうになるのかを知らない。
だから、2年前に医者から「中性脂肪が多いですねえ。気をつけてください」と言われた時、何をどう気をつけたらいいのかわからなかった。
しかし、少なくなっているのだから、きっと気をつけたのだろう。

「尿潜血+-」
何だ、これは!
こんな回りくどいこと書きやがって。
「0」でいいじゃないか、「0」で。
ところで、この尿潜血が昨年問題になった。
昨年は「2+」だったのだ。
その時、「特に再検査の必要はないのですが、気になるようだったら医者に行って検査して下さい」と言われた。
気にならなかったので、医者には行ってないが、これも中性脂肪同様、自ずと治っていた。
医者はいらんわい。

他はぼくの理解を超える言葉ばかり書いてあるので、コメントのしようがない。

さて、総括である。
「医師の意見」と書いてある。
「血圧が上昇気味(境界域)です。減塩を始め、食事に注意し、さらに運動・節酒・節煙等に心がけ摂生して下さい」
「尿酸値がやや高めです。通風予防のため食事に注意し、万一指等の痛みが起こったらすぐ受診して下さい。尚、深酒は良くありません」
コンピュータ手相占いか!
ネットの四柱推命か!
「人生」「性格」「適職」「恋愛」各々にコメントをつけるように、ただ測定数値にマニュアルどおりのケチをつけただけのものじゃないか。
具体性がまったくない。
「食事に注意」とは何を注意したらいいのだろう。
箸の持ち方か?
茶碗の持ち方か?
よく噛んで食べましょう、ということか?
蠅のついたご飯を食べるな、ということか?
「何かあれば受診しろ」と書いてあるが、これでは『もっと詳しく鑑定してもらいたい方は、‘有料鑑定’をクリックして下さい』と書いている占いのサイトと、何ら代わりがないじゃないか。

これを読んで、誰が「偉大なる先生様の御意見に従い、食事に注意するようにしました。何か気になることがあれば、すぐさま敬愛するお医者様に、はせ参ずる所存でございます」と言うだろうか?
何が健康診断だ!
ふざけるな! である。

1、
昨日も今日も、西高東低の冬型の気圧配置だったが、寒さだけがやってきて、肝心の天気は曇りだった。
今日は夕方から雨が降り出す有様だ。
「女心と秋の空」と言われるが、今日も秋の空にふられたわけだ。

2、
ところで、不安定な「秋の空」と同等に扱われている「女心」だが、ぼくは今まで、秋の空ほど気まぐれな女性にあったことがない。
というか、そんなに深く女心に立ち入ったことがないせいで、わからなかったのだろう。
そのため、ぼくはこの言葉を聞くたびに、いつも「そうかなあ」と思ってしまう。
「秋の空」はわかるのだが、どうも「女心」で引っかかってしまうのだ。
「金正日と秋の空」と言ってくれたほうが、今のぼくにはわかりやすいのだが。

3、
男は「性欲の動物」だということだ。
それゆえに、男は次から次に女を変える。
それは、常にはけ口を探しているからである。
これは体の構造からも言える。
男は常にむき出しの状態である。
むき出しであるからこそ、常に刺激を受けている。
だから、これをどうにかしなければならない、という発想に繋がる。
「女心と秋の空」、元々は「男心と秋の空」と言ったらしい。

4、
一方で、女は「物欲の動物」だという。
つまり、女にとって男は『物』なのだ。
アクセサリーやぬいぐるみと同じ存在である。
ということは、女性がアクセサリーやぬいぐるみを見て「かわいい」と言うのと、ジャニーズ系の男の子を見て「かわいい」と言うのは、同じことになる。
ぼくを見て、「しんたさん、白髪頭かわいい」などと言わんで下さい。
言われたとたん、ぼくは『物』になってしまう。

5、
女性からアクセサリーやぬいぐるみを見せられて「ねえねえ、見て。これかわいいやろ」と聞かれることがある。
しかし、ぼくはそう聞かれると、『どうして女性は、物に感情移入が出来るんだろう』と思ってしまう。
ぼくはそれを見ても、別段かわいいとは思わない。
それに、口先だけでも「そうやね」と同調するようなことはしない。
聞いてくる女性としては、実に面白くない男に見えるだろう。
過去、そのためにチャンスを逸したこともあるのかもしれない。
しかし、自分でかわいいと思わないものを、無理やり「かわいい」とは言いたくない。

6、
『ラストダンスは私に』という歌がある。
「誰と踊ったってかまわないけど、最後は私と踊れ」という内容だったが、この余裕、まさに男は『物』である。
こういう発想が男には出来ない。
好きなら一直線だ。
しかし、冷めるのも早い。

7、
以前、女性ばかりの飲み会に、ゲストで呼ばれたことがある。
全然違った世界がそこにあった。
普段さりげなく話している人も、そのときばかりは別人に見えた。
どうも、その会話の中に入っていけない。
一つの話題の終わりに、必ず「しんたさんは、どう思う?」と聞かれたが、何も考えてなかったので、すぐに答えることが出来ない。
ようやく口を開こうとすると、もう次の話題に移っている。
こちらが話題をふっても、知らん顔だ。
人の歌を聞いているふうでもないし、しまいには、『もう二度とこんな会に来るか!』と思ったものである。
まあ、その人たちも面白くなかったのだろう。
二度とぼくがその会に呼ばれることはなかった。
おそらく、彼女らにとって、ぼくはその場のアクセサリーの一つに過ぎなかったのだろう。
きっとアクセサリーは、口を開いてはいけないのだろう。

今日は、ぼくが毎月恒例にしている銀行デイである。
昼から黒崎に出て、福岡銀行・福岡ひびき信用金庫・みずほ銀行・福岡シティ銀行の順で回った。
この四行、距離的には大して離れた場所にあるのではないが、一気に回るとけっこう疲れる。
例えば福岡銀行とみずほ銀行は、直線距離にすると20メートルくらいしか離れてないのだが、そこに行くためには、ビルの3階分の高さがある歩道橋を上り下りしなければならない。
ま、その歩道橋にはエスカレーターがあるので、それを使えばいいのだが、自分の体に中年と認めさせないために、なるべく階段を使うようにしている。
しかし、渡りきった時には、いつも息が切れている。

さて、銀行を回った後は、いつものように本屋である。
今日は特に欲しい本はなかったのだが、行ってみてよかった。
岡崎二郎の『アフター0』というコミックの再編集版が出ていたのだ。
ぼくは、このコミックのオリジナル版は持っているのだが、今回のは未収録作品も多数入っているということだった。
再編集版は全8巻で、今日現在まで6巻が発売されていた。
さっそく、ぼくはそこにあった6冊を購入した。
もちろん、残り2巻(今月末発売)を予約したのは、言うまでもない。

もう一つ買ったものがある。
CDである。
昨日の話だが、ラジオに元憂歌団の内田勘太郎が出ていた。
今日福岡でライブをやるということで、その宣伝をかねてのゲスト出演だった。
そこで、ギター・ソロのアルバムを出していると言ったのを聞き、これは欲しいと思ったわけである。
ぼくは昔から憂歌団のファンで、中でも内田勘太郎のギターに憧れていた。
ぼくのやっていた音楽と系統が違うので、コピーなどはしなかったのだが、ああいうギターを一度弾いてみたいと思っていたものだった。
昨日は放送中に、アルバムに入っている曲の中から、『ムーン・リバー』を生でやってくれた。

そのCDを探すのには、ちょっと苦労した。
まずJ-POPのウの段で探したのだが、見つからない。
次に憂歌団のところを探したが、見当たらない。
インストゥルメントを探しても、ない。
「もしかして」と思い、ぼくはジャズのコーナーに行ってみた。
たくさんあるジャズのCDを一枚一枚見ていった。
ありました。
全然関係ないところにポツンと置かれていた。
まあ、ジャンルが定めにくいのはわかるのだが、これはジャズじゃなくJ-POPだ。
もし、これをジャズに置くなら、憂歌団もジャズのところに置かなければならないはずだ。

久しぶりに本屋でいいものが買えたので、何となく嬉しくなって、今日は少し贅沢をした。
帰りに、こちらで餃子のおいしい店として有名な『鉄なべ』で、餃子を食べることにした。
数年ぶりだった。
餃子2人前とビールを注文した。
相変わらず小振りで、味も衰えてなかった。
しかし、昼間からビールを飲むものではない。
すぐに目に来てしまった。
帰りのJRの中で、眠たくなった。
このまま寝ていたい衝動に駆られたが、乗っている時間は実質1分、すぐに降りなければならない。
「家に帰れば、ゆっくり寝れる」と思い、その1分を必死に耐えた。

ところが、JRを降りて家に向かっている途中に、肝心なことを忘れているのに気がついた。
そう、今日は車が戻ってくる日だった。
午後5時に取りに行くと約束していた。
あと、1時間しかない。
眠たいとか言っている暇はない。
ぼくは急いで家に戻り、酔い覚ましのために、コーヒーをがぶ飲みした。
そのおかげで、眠気も一気に覚めた。
そして、目線の低い軽自動車を運転して、修理屋に向かった。

今日は、そういう一日だった。

車を修理に出しているため、代車生活を強いられている。
今日でちょうど一週間目になる。
感覚はつかめるようになったが、まだまだ慣れない。
修理に出している車がRV車で、今回の代車が軽自動車なので、目線がまったく違うのである。
普段は立って歩くくらいの目線なのだが、今はアヒル歩きの目線なのだ。
この目線の違いが、幹線道路を走る時の障害になる。
何が障害かといえば、それは気持ちである。
怖いのである。
ぼくはただでさえ軽自動車をあまり運転したことがないのだ。
そういうぼくが、大型トラックやトレーラーなどが頻繁に走っている幹線道路を走るなど、自殺行為に等しい。
普段は大型トラックなどと競り合いながら走っているのに、今はそれが出来ないのだ。
そのくせ、普段の癖が出て、競い合っている。
それが怖い。
普段はそう感じないのだが、軽だとすべての車が幅寄せしているように思える。
後ろの車も、軽だからといってなめているように思えるのだ。
「ふざけるな!」
「離れろ!」
「これはおれの車じゃない!」
などと、一週間車の中で叫び続けている。

もう一つある。
それは、スピード感だ。
通常ぼくは、時速60~70kmで走っている。
目線が高いと、そう速く感じるスピードではない。
しかし、アヒル歩きの目線だと、極端に速く感じるものだ。
このまま空を飛ぶんじゃないか、と思えるほどである。
ハンドルを取られるような錯覚に陥ることもある。
そのため、気がつくとハンドルを必要以上に強く握り締めている。
これも怖い。
後続の車が見たら、ぼくの車は小刻みに揺れているのかもしれない。
代車に人を乗せることはないのだが、仮に乗せたら、その人は酔ってしまうだろう。

ところで、当て逃げされた愛車の修理代だが、今日、修理に出している代理店の人がぼくの店に来て教えてくれた。
「修理代が18万かかるらしいよ」
「え!? 18万ですか? 12,3万じゃなかったんですか?」
「いや、他の箇所にも歪があったらしい」
そう言って、彼は修理中のぼくの車の写真を見せてくれた。
18万といえば、車検料より高いじゃないか。
保険を使っておいてよかった。
まあ、300万も取られるわけじゃないけど、安月給のサラリーマンにとって、18万は痛い。
しかし、来年から保険の等級が下がるわけだから、当然保険料が上がってくる。
それも頭の痛いことである。
憎むべきは、当て逃げ野郎だ。

代車で疲れ、仕事で疲れ、修理で疲れる毎日である。
明日、愛車が戻ってくる。

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