吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2001年12月

この日記は1月1日に書いている。
なぜ12月31日に書かなかったかというと、この日には毎年、ぼく恒例の行事があるからだ。
それは、風呂に入って年を越すことだ。
つまり、「除夜の風呂」ということだ。
大晦日は、風呂の中で何か特別なことでもやっているのかといえば、そうではない。
ただいつものように長湯しているだけだ。
ああ、そういえば今日は、クリスマスにある人からもらった「アヒル隊長」といっしょに風呂に入っていた。
いつもと違うことといえば、このくらいか。
風呂から上がってから、いつものように食事をし、いつものようにパソコンの前に座っている。

ところで、この日記をつけ始めて、考え方が変わったことが一つある。
それは一日の捉え方だ。
今までは単純に「午前0時に一日が始まる」と思っていた。
しかし、日記をつけ始めてから、「それはおかしい」と考えるようになった。
日記を書くというのは、朝起きてから寝るまでの出来事や考えたことを文にするということだから、午前0時に一日が始まるとちょっと困るのである。
もし通常通りに一日を捉えると、今日の日記は、
「昨日の日記を書いている途中に今日は始まった。
午前2時までかかって、やっと日記を書き終えた。
それから20分後に寝た。
起きたのは午前7時40分であった。
・・・・
いつものように仕事を終え、途中本屋に寄ったりしたので、帰るのが少し遅くなった。
今日は大晦日ということで、恒例の“除夜の風呂”を決行しなければならない。
・・・・
ということで、“除夜の風呂”の途中に今日は終わった」
となるだろう。
何かおかしいでしょう?
この文章は、午前0時を一日の始まりとすることが、いかに愚かなことかということを示していると思う。

そこでぼくは、日記をまともなものにするために、一日の始まりを「朝起きてから」にした。
そうすれば、無理なく日記が書ける。
「今日は朝7時40分に目が覚めた。
昨日寝るのが2時を過ぎていたため、かなり寝起きが辛かった。
・・・・
いつものように仕事を終え、途中本屋に寄ったりしたので、帰るのが少し遅くなった。
今日は大晦日ということで、恒例の“除夜の風呂”を決行しなければならない。
ということで、いつものように風呂の中で年を越したのだった」
これなら無理がない。
一日というのは、朝起きてから次の朝起きるまで。
そうすれば、「今朝見た夢」も、「昨日の夢」で片付けられるから楽だ。


さて、今日の日記はこれでおしまいです。
一年間、このこじつけ日記にお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。
来年は、さらにこじつけに磨きをかけ、邁進する所存でございます。
来年もよろしくお願いいたします。

しろげしんた


今年もあと1日。
しかし、ぼくたちは日常生活を強いられている。
世間は年末であわただしそうだが、ぼくたちは平常通りの仕事をやっている。
正月休みにしろ、3日から営業であるから、ただの2連休を取るにすぎない。
正月が明けたら、たっぷり休暇を取れるのかといえば、そうでもない。
別に他の日に定休日を設けているわけでもないので、いつものようにローテーションによる休みしか取れない。
これはお盆でも同じことだ。
つまり年中、同じ生活をやっているということである。

ぼくはこんな生活を22年間やってきたわけである。
もちろんこの間、転職した時を除いて、長期休暇など取ったことはない。
前の会社では数字の関係上休むことが出来ず、今の会社では人数の関係上休むことが出来ない。
病気にかかっても、他の人に迷惑がかかるから休むわけにはいかない。
今は週2日確実に休みを取っているので、「まあいいか」と思うことができるのだが、前の会社の時は月に3,4回しか休みが取れないことがざらだったので、かなりフラストレーションがたまっていた。
しかも、毎日朝8時から夜10時過ぎまで拘束され、週一度は7時出勤だった。
そんなに早く行って何をするかといえば、会議である。
そんなに遅くまで残って何をするかといえば、会議である。
何の会議かといえば、数字のツメである。
数字とは、売上数字のことである。
この数字さえよければ何のことはないのだが、数字が常時いい部門などはない。仮にあったとしたら、それは不正をやっている部門である。
会議といっても、数字の悪い部門の「報告」、それに対する「罵倒」の繰り返しばかりやっていた。
そんな疲れの溜まることを毎日やっていて、仕事の効率が上がるはずがない。

一度切れたことがあった。
夜の会議が終わったあとのこと、時間はすでに午後10時半を回っていた。
「やれやれ、やっと帰れるか」と思っていると、販促係の人間が店内放送で「今から販促会議をやります。各売場の販促委員の方はお集まり下さい」と言い出した。
上の者にいい顔したいがためのパフォーマンスであった。
その時はぼくも販促委員だったので、当然参加しなければならなかった。
「冗談じゃない」とぼくは食いついたが、「すぐ終わらせますから」と言うので、しぶしぶ参加した。
もちろん疲れていることもあったが、その当時ぼくはJRで通勤していたので、電車の時刻と、乗り継ぎのバスのことが気になっていた。
JRのほうは0時過ぎまであるが、バスのほうは最終が23時14分だったので22時50分のJRに乗らないと間に合わない。
これに間に合わないと、タクシーで帰らなければならないのだ。
「しかたない。今日はタクシーで帰るか」と思いながらの参加であった。
ところがこの会議、いつまでたっても終わりそうにない。
時間は刻々と過ぎていく。
いつの間にか、JRの最終の時間も迫っていた。
そこでぼくは、「この会議、いつになったら終わるんですか?」と尋ねた。
するとその販促係は、「あと30分ほどで終わりますから」と言った。
「話が違うやん。すぐ終わると言うけ参加したのに。JRの時間がないけ、もう帰る!」と怒鳴り、ぼくは会議室を出て、さっさと帰った。

前の会社がこんな具合だったので、たとえ人数が少なくても、今の会社で勤まるわけだ。
ただ、最初に言ったように、ここも「盆も正月もない」という意味では同じである。
販売業22年生、まだまだ日常生活は続く。

「よいお年を」
社会に出てから、この言葉を何度口にしただろう。
それまでは、一度も口にしたことのない言葉だった。
どうして覚えたのだろう。
別に「年末の挨拶は“よいお年を”と言わなければならん」などと強要された覚えはない。
ということは、見よう見まねで覚えた挨拶なのだろう。
では、それまではいったい年末の挨拶はなんと言っていたのだろうか?
おそらく、普段の別れの挨拶をしていたのだろう。

そういえば、別れの挨拶の言葉も、年をとるにつれ変わってきている。
高校を卒業する頃までは、いつも「バイバイ」だった。
その後、社会に出るまでは「じゃあね」とか「またね」だった。
社会に出てからは、「お疲れさん」だ。
社会に出てから、「バイバイ」などと言ったことはない。
これも強要されてこういうふうに言い出したわけではなく、また高校を卒業したから「じゃあね」と言おうとか、社会に出たから「お疲れさん」と言おうとか決めていたわけでもない。
それは流れの中で変化してきたものだ。
ちなみに、友だちに「さようなら」と言ったことはない。
そんなこと、馬鹿らしくて言えん。

ということは、社会に出る前の年末の挨拶は、「バイバイ」や「じゃあね」ですませていたわけだ。

社会に出てからは、以前からの友だちにも「よいお年を」などと言っているが、これがまた照れ臭い。
言う前から、「何で、こいつに挨拶せないけんとか」と思ってしまう。
言っている最中も、ニヤニヤして「ばーか」などと思いながらやっているので、ありがたみも何もないだろう。
まあ、相手もそう思いながらやっているんだろうけど。

ところで、「よいお年を」のあとの続く言葉が何であるかを、真剣に悩んでいた時期がある。
もちろん、「よいお年をお迎え下さい」が正しいのであるが、その頃は、そう続くことに違和感を感じていた。
「よいお年をお過ごし下さい」、この言葉を使うのは年が明けた後だろう。
「よいお年をお取り下さい」なら、年寄りに向かって言っているようである。
やはり「よいお年をお迎え下さい」が妥当なのか。
でも、言い回しがどうもしっくりこない。
「よい年でありますように」ではいけないのだろうか?
「幸せな一年を」ではいけないのだろうか?
しかし、これらの言葉を「よいお年を」のように略して言うとすると、「よい年で」や「幸せな」となってしまって、逆におかしくなってしまう。
いろいろ考えたあげく、「よいお年を」だけでいいじゃないか、というところにおさまった。
後の文章は「余計だ」と思うに至ったわけである。
それから、自信を持って(?)、「よいお年を」と言えるようになった。

ということで、皆さんよいお年を。

・・・?
ああ、あと二日あったんだ。

午後から近くの米屋に灯油を買いに行った。
年末年始分ということで6缶買った。
今日は18リットルで税抜き498円だった。
米をいっしょに買うと、さらに200円安くなるらしい。
先日ラジオでこの店を紹介していたが、その時そう言っていた。

全国で見ると、どうなのかはわからないが、ぼくはわりとガソリンや灯油が安い地区に住んでいる。
例えば、ガソリンがリッター82,8円というスタンドがある。
テレビなどでよく「セルフ」というのを売り物にして、「激安スタンド」などと紹介されている店がある。
レポーターも「ここはなんと、ガソリン1リットル85円!」などと大げさに言っている。
その店の人も、「セルフだからここまで出来るんですよ」と答えている。
確かに他の店と比べたらそうなのかもしれないが、ぼくが利用しているスタンドは、セルフではないのにセルフよりも安い。
その「激安スタンド」の人は、「セルフにしなくても安く出来る」というのを勉強しておいたほうがいいだろう。

しかし、最近はその「激安以上に安い店」も口コミで伝わったのか、いつ行っても満車状態である。
この間ガソリンを入れに行った時は、待っている車が道路まではみ出していた。
時間がなかったので、しかたなく他の店で入れたが、なんとその店はリッター90円だった。
その時入れた量が50リットルだったから、860円も損をしたことになる。
この差は大きい。
こういう時のために、サブメインの店も決めておかなければならない。

しかし今日は、いくら年末とはいえ、灯油6缶というのは買いすぎた気もする。
別に「年始はずっと休みです」、というわけではないのだから、その半分にしておけばよかったのかもしれない。
ぼくの家は団地の3階なので、灯油を両手に持って3往復しなければならなかった。
おかげで、今は腕が痛い。
おまけに、約40kgを持って階段を上がったわけだから、ひざの裏も痛くなっている。
きっと年末という言葉に騙されたんだろうなあ。
よくよく考えてみたら、そこも店なんだから、1週間も休むはずがないのだ。
年内は31日まで、年明けは遅くても4日には開くだろうから、たかだか4日間の休みである。
別に毎日灯油を買いに行くわけではないので、1週間分も買っておけば充分だったのだ。
何で焦る必要があったのだろうか?

これは店の側でもよくあることだ。
年末という言葉に騙されて、ついつい多めに在庫を取ってしまう。
でも、考えてみたら取引先の休みというのは1週間かそこらしかないのだ。
いくら年末はお客が増えるといっても、よくて通常の倍であろう。
ということは、2、3週間分の在庫を抱えておけば、充分なのである。
それを何を焦ってか、気がついたら1か月分以上の在庫を抱えていた、ということはよくあることである。
取引先も年末という言葉に騙されて、「年末年始は、これで充分ですか?」などと言ってくる。
こちらはその言葉に騙されるわけだが、その取引先だって12月に無理をしたつけが1月に回ってくる、というのをすっかり忘れてしまっているわけだ。
つまり、こちらは在庫過多で泣き、あちらは返品で泣くということだ。
今年もあと3日、今ごろ冷静になってももう遅いのだが、来年の戒めとして、このことは頭に入れておこう。
と、毎年思っている。

毎週木曜日は、大量の入荷があるので、いつも荷出しには時間がかかる。
今日は年内最後の木曜日ということで、通常の倍の入荷があり大変だった。
お客さんは通常より多いし、電話もひっきりなしにかかる。
しかも、こんな日に限って、取引先の営業が「売れてますか?」などと言ってのこのこ登場したり、本社のお偉いさんが売場チェックをしにきたりする。
取引先は軽くあしらっておけばいいのだが、本社のお偉いさんはそうはいかない。
彼らは現場のことがまるでわかってないので、手を休めて、いちいち細かく説明しなければならない。
これにまた時間を食ってしまう。
なんとか一段落着いて、食事に行ったのは、もう午後4時半を回っていた。
食事がすむと、いつものように昼寝。
売場に戻ったのは5時半だった。
それから、明日からの売り出しの準備をしなければらなかった。
くだらんことを聴いてくるお客さん。
相変わらず、鳴りまくる電話のベル。
もう勘弁してほしかった。
放心状態で店を出たのは、いつものように8時20分だった。

以上のような状況だったので、日記のことを考える暇がまったくなかった。
さて何を書こうか?

そういえば、明日は今年最後の休みなのだが、何も予定がない。
とりあえず、灯油を買いに行くことだけは決まっているのだが。
銀行は先週すませたし、本は大量に買い込んだし、黒崎に出て年末風景でも見に行くか。
ぼくは、年末の街とかお祭りとか、とにかく、人がたくさんいるのを見るのが好きだ。
なんとなく躍動感というものを感じる。
そんな人ごみの中にいると、何かホッとするものがあるのだ。
販売という職業に就いたのも、きっと「人が集まるところが好き」という潜在的なものが働いたのだろう。
24年前の暮れは、デパートの井筒屋でアルバイトをして、人ごみを満喫していたし、22、23年前の暮れは、毎日のように新宿の人ごみの中を練り歩いていた。
21年前、長崎屋でアルバイトをしていた頃は、台車を押して年末の人ごみの中を走り回っていた。
10年前、前の会社を辞めた年の暮れも、無職の身でありながら、そんなことを気にもせず、年末の街に触れに行った。
おそらく今日のことも、何年か経つと、ぼくの中の年末の風景として残るのだろう。
まあ、明日は21世紀の年末を充分満喫することにします。
それにしても、この不景気、人ごみというのはあるのかなあ?

ところで、来年の3月のことなのだが、黒崎そごう跡に移転した井筒屋の、前の店舗跡に、市内で一番大きな本屋が出来るらしい。
九州でも3番目に大きな本屋だということだ。
8階建てのデパートの半分、つまり4フロアが本屋になるという。
デパートの1フロアはけっこう広いものである。
それが4つも重なると思うと、嬉しくてたまらない。
欲しい本があったら、小倉・博多はもちろん、東京までも行くぼくにとっては、これは朗報である。
ちなみに、小倉は「クエスト」、福岡は「紀伊国屋」、東京は神田神保町の古書街に出没しています。

しかし、3月か。
その前に、寒い冬を越さなければならない。
これが嫌なんです。
「来春発売」とか、「来年の夏オープン」とかいうCMを見ると、いつも「ああ、冬を越さなければならん」と思ってしまう。
ぼくにとって、冬というのは関所みたいなものなのである。
冬さえなければ、すべてはうまくいくように思えてしまう。
ウィンタースポーツなどをしないぼくにとっては、冬の寒さというのは苦痛以外の何者でもない。

そうだった。
明日何をするのかを考えていたのだった。
とりあえず、明日は灯油を買って・・・・
そうだ!
昨日日記に書いた、モバイルを見に行こう。
まだ、買えないけど。
でも、見たら欲しくなるんです。
ああ、この手があった。

ということで、明日は灯油を買って、お金とカードをいっさい持たず、モバイルを見に行くことにします。

「モバイルが欲しい」
何度も言っているが、ぼくは、毎晩2時3時までかかって日記を更新している。
時には居眠りをしながら書くこともある。
出来上がった時は、一気に眠気が襲ってくるので、当然読み直したりはしない。
だいたい、日記を読み直すのは翌日、暇な時にiモードを使ってやっている。
そこで、誤字脱字や表現の不十分なところ、文法的におかしなところなどをチェックするのだ。
しかしである。
この日記レンタル「エンピツ」は、iモードでは修正できないのである。
ということで、この日記を皆さんがあらかた読み終えた後に、この日記の修正が始まるわけである。
これは困ったことだ。
この日記の真意が伝わらないままになってしまう。
そういうわけで、今すごくモバイルが欲しい。
今月はあと一度休みがあるが、所用があるので行けそうにないので、来月にでも。
来月になれば、カードで夏のボーナス払いができるし。
とりあえず、この日記の修正が出来る機械なら、ノートパソコンでなくてもいい。


「iモードを買い替えたい」
モバイルもさることながら、iモードのほうも買い替えの時期が来ている。
スクロールやクリックがうまくいかないのだ。
スクロール出来なかったり、スクロールしていると勝手にクリック状態になり、「受信中です」の表示が出てしまう。
今の機種に取り替えたのが、今年の6月だったから、7月から換算すると12月いっぱいで半年使ったことになる。
半年経つと、取替えが安くなる。
で、1月になったらさっそく買いに行こうと、今日知り合いのいるドコモショップに電話した。
「正月はいつから開きますか?」
「正月はありません。ずっと開いてます」
「えっ、元日から!?」
「はい」
まあ、三が日については、営業時間は午前11時から午後3時までということだったが、それにしても可哀想だ。
せめて元日ぐらいは休みたいよなあ。

ぼくも前の会社の時に、当番で元日出勤をさせられたことがあるが、あんなに面白くないことはなかった。
午後5時であがるつもりが、その日に限って退店のセットが出来ずに、結局帰ったのが午後11時を過ぎていた。
おまけに翌日から初売りで、結局年末から10日間ほど出ずっぱりだった。
そういう嫌な思い出があるので、元日から出勤している人を見ると、可哀想に思えてくるのだ。
正月に買い替えようと思っていたが、しかたない、正月明けにするか。


「あゝ日本海 ウクレレ夫婦旅」
雷波少年のこの企画も最終章に近づいている。
青森県から山口県まで日本海側を南下して、各所でライブを行い、その観客動員数合計が1万人を下回ったら離婚しなければならない。
期間は3ヶ月、10月から始まったから、今月までということになる。
今週の放送までに、動員数合計は5000人前後だったと思う。
残されたライブはあと2回ということだった。
今週の放送では、鳥取市でライブをやっていたから、あと島根と山口か。
といって、この二つの県で5000人を集めるほどの大都市はないし。
いったいどうするんだろう?
玄界灘も日本海ということで、福岡まで足を伸ばすのか?
と思っていたところに、ニュースが入ってきた。
バイトの甘栗ちゃんが、「昨日、小倉で“ウクレレえいじ”を見た」と言うのだ。
葉津紀さんと二人で、チラシを配っていたらしい。
下関だけだと心もとないので、100万都市北九州を狙ったか?
で、最後のライブは1月1日午後10時から、場所は下関の「海峡夢広場」ということだった。
おそらく、電波・雷波の特番の中でやるのだろう。

しかし下関か、行ってみたい気もするなあ。
この企画が始まった時から応援していたし。
葉津紀さん、きれいだし。
うーん、行きたいなあ。
でも、そこに行くと、テレビでこの中継が見れんしなあ。
悩むところである。

親戚から「今日パソコンを購入したので、いろいろ教えてほしい」との連絡があった。
ぼくが教えられることといえば、インターネットのつなぎ方ぐらいしかないが、とりあえず「行ってみよう」と言うことになった。
家に行ってみると、もはやパソコンは設置してあり、電話回線も午前中にNTTの人が来て、つないで帰ったらしい。
「別に教えることはないやん」と思っていると、「『ハリー・ポッターと賢者の石』のCD-ROMが見たいんだけど、“QuickTime Player”がないと見れない、と書いてある。どうにか見れるようにしてくれ」と言う。
それで、それをダウンロードして、インストールした。
ぼくがやった作業としてはそれだけだった。
あとは、メールの送受信の仕方や、検索の仕方などを教えた。

あ、今日はそういう話をするんじゃなかった。
今日の話は、犬の話です。
その家は、ミニダックスを飼っている。
ぼくが親戚の家に着き、その家の玄関の扉を開くと、突然「ワンワン」というご挨拶がきた。
かなり気の弱い犬のようだ。
後ずさりしながら吼えている。
いっときの間、彼はぼくを警戒している様子だった。

その後、ぼくがパソコンの作業を終えた頃に、彼はフォローにやってきた。
尻尾を振り、ぼくの足や股間を嗅ぎまわり、手や顔を舐めてきた。
ぼくが寝転ぶと、この白髪頭まで舐め回していた。
「ぼくの白髪はおいしいんだろうか?」などと思いながら、しばらく彼のしたいようにさせていた。
すると、彼はぼくを気に入ったのか、ぼくが帰るまでぼくのそばから離れようとしなかった。
トイレに行けば、トイレに付いてくる。
何と、トイレをノックまでしている。
「ぼくのどこが気に入ったんだろう?」と思っていると、彼はぼくの手を顎で、自分の体の下に持っていった。
「わかった!トキコさんだ」(エッセイ「トキコさんは48歳」参照)
彼はぼくの腕に前足を巻きつけ、腰を振ろうとしていたのだ。
そこでぼくは、彼の要求を受け入れないことにした。
手を後ろに持っていき、もう片方の手で、頭を軽く叩いてやった。
ぼくに拒否された彼は、寂しそうに自分の股間を舐めていた。

しかし、彼は懲りない。
何度も何度もやってくる。
ぼくが腕で体を支えて座っていると、腕をめがけてやってくる。
ひざを立てて寝ていると、ひざをめがけてやってくる。
そのつどぼくは、腕を引っ込めたり、ひざを伸ばしたりして対応した。
彼は、ぼくに拒否されるたびに、例の股間舐めを始める。
ぼくが帰る間際まで、彼はこの作業を繰り返していた。
そして、ぼくが帰る時彼は、靴を履くぼくの姿を恨めしそうに眺めていた。

ということで、ぼくは今日は犯されずにすんだわけだ。
帰りの車の中で思った。
「あほやのう、犬は」

「正当防衛射撃」
こんな間抜けな日本語は聞いたことがない。
あまりに解説めいた事務的な言葉である。
というより、ダサい。
それに、自分たちで編集したビデオに、わざわざこんな下手なタイトルをつけていること自体おかしい。
まさか彼らは、この言葉に酔っているのではないだろうか?
こんな間抜けなネーミングしか出来ないのなら、「射撃!」とか「応戦中」とかにしておけばいいじゃないか。
もしくは、それに見合った言葉を民間から公募しろ。
全国には公募マニアといわれる人が腐るほどいるのだから、ネーミングはそういう暇な人たちに任せて、海上保安庁は職務に専念しろ。
まったく、くだらん言葉を作りやがって、「新聞」や「経済」といった後世に残る新語を、続々と作りだした祖先に対し、恥ずかしいとは思わないのだろうか?


「田代まさし」
テレビで活躍していた頃の田代を、面白いと思った人はいるだろうか?
ギャグのセンスはヤクルトの高津以下である。
まあ、高津の場合は本職じゃないので許されるが、歌を捨てた田代は人を笑わせることを本職として選んだじゃないか。
くだらん駄洒落ばかり言いやがって、そのクラスの人間ならうちの会社にもたくさんおるわい。
と、ぼくは思っていた。
しかし、それは大きな間違いだった。
こいつほど面白い男はいなかった。
次から次に、いろんな事件を起こしてくれる。
そのつどワイドショーは、時間を割き田代の特集をやる。
某テレビ局は、その特集の中で、学者を登場させ、田代の顔の表情や行動を分析させていた。
その学者は、散々ひどいことを言っていたが、あげくに「彼は性的不能者でしょう」とまで言うしまつだった。
これには笑ってしまった。
会ったこともない人から、「性的不能者」呼ばわりされるほど面白い奴だったのか、田代は!

「しかし、ここまで来ると田代も終わりだ」
と思っていたら、意外なところで彼は蘇った。
その場所は、あの米誌「TIME」であった。
なんと「今年の人」のオンライン投票で、1位に輝いたのだ。
もちろん日本人の組織票だったらしいが、あのビンラディンに大差をつけての、堂々の1位だったらしい。
こういったことも、田代の面白さがさせる業であろう。
「もっと田代の面白い余罪を探してくれんかなあ」と思うしだいである。


「サッチー逮捕」
ワイドショーでサッチーの特集をやるたびに、いつも気になる人が出てくる。
フルネームは忘れたが、元南海ホークスマネージャーのS氏である。
以前、「サッチーVSミッチー」の時に、突然この人が出てきて、「克ちゃん、目を覚ませ」とか「克ちゃん、帰って来い」などと言って泣いていたのが不思議でならなかった。
野村前監督の前妻正子さんのことも、涙ながらに語っていたが、「結局この人は、正子さんのことが好きじゃなかったのか?」とぼくは思いながら見ていた。
今回「サッチー逮捕」の時も、S氏は登場していた。
あの頃よりは少し老けたように感じたが、杉浦節は健在であった。
しかも、まだ泣いていた。
この間、南海時代の野村前監督とS氏の2ショットの写真を、テレビで紹介していたが、ただの男二人の写真には見えなかった。
何か、ちがった世界があるように見えたのだ。
それが愛情だったのか、嫉妬だったのかはわからないが。

久しぶりに胸がすく思いがした。
昨日の奄美沖の事件のことである。
おそらく真珠湾攻撃のニュースを聴いた日本人も、こんな気持ちだったのかもしれない。
昨日からのニュースを、ぼくは食い入るように見ていた。
この調子で尖閣諸島の中国の調査船や、竹島の韓国船も射撃してやればいいのに。
わがままな国にはこの方法が一番だろう。

調べたわけではないので何とも言えないが、国がやった船に対する射撃というのは、おそらく大東亜戦争以来じゃないのか?
そうであれば、昨日の事件は歴史的なことである。
かつての世界に冠する海軍国の片鱗は残っていたわけだ。
海上自衛隊も「今中国海軍と戦っても負けない」と言っているし、海に対する守りはまだまだ捨てたもんじゃない。

しかし、どうして政府やマスコミは「正当防衛」にこだわるのだろうか?
そんな次元の低い問題じゃないだろう。
国にとっての一大事なんだから、どちらが先に撃ったとかいうのとは違う話だ。
「不法に侵入して来たから撃った」、それですむじゃないか。
それに相手が先に発砲しなくても、この場合の正当防衛は成り立つはずだ。
なぜなら「侵入」という攻撃を受けたのだから。
もし家に誰かが侵入してきたら、相手からの攻撃を受けない限り、こちらは黙って見ているだろうか?
よっぽど気が弱い人でもないかぎり、こちらから攻撃を仕掛けるはずだ。
戦後の日本はこういうことを避けてきたので、危機管理の何たるかがわからなくなってしまった。
だから正当防衛などという、個人レベルの話にすりかわってしまうのだろう。

10年ほど前、社員旅行で沖縄に行った時の話である。
仲間と本島北部をドライブをしていたのだが、道に迷ってしまった。
気がつくと目の前に嘉手納の米軍基地があった。
あそこでUターンさせてもらおうと、車を進めていたら、突然門のところにいた兵隊が、こちらに銃を向けた。
慌ててハンドルを切り、手前でUターンしたので撃たれなくてすんだのだが。
あの時、もしぼくらが撃たれて殺されたとしても、何も文句は言えなかっただろう。
なぜなら、理由はどうであれ、侵入者になるのだから。
アメリカだけに限らず、他の国はそこまでやるのだ。

大東亜戦争後、近隣諸国、つまり東アジアの国々は、日本をなめ続けてきた。
これを機会に、毅然とした態度を取り戻して欲しいものである。

午後8時20分、いつものように会社を出たぼくは、今日も寄り道をせずまっすぐ家路を急いだ。
朝方時折雪に変わった雨も午後にはやみ、今夜は星もはっきりと見えた。
スペースワールドの観覧車のネオンは今日もきれいだ。
平日に比べると、あまり飛ばしている車も見当たらないし、べた付けしてくる車もない。
などと考えていると、毎週楽しみにしているラジオ番組が始まった。

土曜日の夜は、KBCラジオの「ポピュラーベスト10」という番組を聴きながら帰っている。
この番組は30年以上も前からやっている番組で、以前は日曜日の午後にやっていた。
ぼくがこの番組を最初に聴いたのは、小学5年の時だった。
当時は「タッチ・ミー」・「ホワイト・ルーム」・「ヘイ・ジュード」などがベストテンに入っていた。
本格的に聴きいたのは、中学から高校卒業くらいまでだった。
思いつくままいえば、「愛するハーモニー」・「マイ・スィート・ロード」・「魔法」・「遥かなる影」・「サインはピース」・「ビートでジャンプ」・「喜びの世界」・「イマジン」・「明日にかける橋」・「アローン・アゲイン」・「ブラック・アンド・ホワイト」・「名前のない馬」・「愛するアンサー」・「秋はひとりぼっち」・「サムデイ・ネバー・カムズ」・「幸せの黄色いリボン」・「スタンド・バイ・ミー(J・レノン)」・「太陽を背に受けて」・「天使のささやき」・「歌にたくして」・「キラー・クイーン」・・・などなど。
懐かしいなあ。
しかし、高校を卒業してからは、興味が他に移っていったため、あまりその番組を聴くことはなくなった。

そういえば79年の年末のこと、「ポピュラーベスト10」の拡大版として、「70年代のポピュラーベスト100」というのをやっていた。
アルバイトの合間に聴いていたのだが、1位は「ホテル・カリフォルニア」だった。
まあ、これはうなずけたものの、意外だったのは2位が「レット・イット・ビー」だったことだ。
「なぜこの歌が入ってるだろう?」というちょっとした驚きがあった。
確かにこの曲は70年に発売されたものではあるが、79年当時にはもうスタンダードナンバーになっていたため、70年代という新鮮さを欠いていたと思う。
作ったのは69年というのはあまりにも有名な話だし。
ぼくがこの曲を好きじゃないというのもある。
いろいろな意味で、ぼくはいまだにこの曲を70年代の第2位として認めていない。
などと考えながら黒崎を通過した。

今日は毎日渋滞する黒崎駅前も比較的すいていたようだ。
「今日は早く着くぞ」と思い、3号線を右折して市道に入った。
ところが、2つ目の信号のところで渋滞しているのだ。
前の車が次々とウインカーを上げ、右車線に入ろうとしている。
「事故か?それとも故障車か?」と思いながら、ぼくも前に習ってウインカーを上げた。
そして20メートルほど行ったところでわかりました。原因が。
年末になるといるんですね、こんな馬鹿が。
はい、酔っ払いです。
ほとんどバイパスといっていい車道で、スーツ姿のおっさんが片手を振り回し、ふらふらしながら立小便をしている。
あの調子だと、ズボンはびしょ濡れだろう。
いい歳して何やっているんだろう。
女房子供もいるんだろうに。
帰ってから奥さんに何と言い訳するんだろうか?
子供の前でズボンを脱がされ、パンツ一枚で正座させられるんじゃないのだろうか?情けない。
などと考えているうちに家に着いたのだった。

最近休みの日は、家でごろごろしているか、本屋に行くかのどちらかである。
今日は雨にもかかわらず、JRに乗って本屋に行った。
JRといっても遠くへ行くのではなく、次の駅(黒崎、約2分の距離)までである。
車で行っても、渋滞さえなければ5分しかかからないのだが、休みは歩くことを重視しているので、約10分間の駅までの道のりをいつも歩いている。
それに駐車料金などを考えると、車で行くよりはJRで行ったほうが安くつくという利点もあるのだ。

午後一時の電車に乗ったのだが、今日は学生が非常に多かった。
「今日は平日なのにおかしいなあ?今日は学校行事で半ドンか?」などと思っていた。
約2分後、電車は駅に着いた。
学生たちもぞろぞろ降りてくる。
そして、互いに「よいお年を」などと言い合っている。
「え?今日は終業式か?まだ21日じゃないか!」
しかしよく考えてみると、明日22日は第4土曜日、23日は祝日、24日は振り替え休日だ。
「なるほど、それで今日が終業式というわけか」と一通り納得したところで、今度は怒りがこみ上げてきた。
「おれたちの頃、一日早く終業式をしたのは24日が日曜日の時だけだったのに、なんだこの差は!ゲームとカラオケしか知らんガキどもに、休みなんか増やしてやる必要があるか!宿題を倍にしろ!」と、けっこう本気になって一人で怒っていた。
ぼくは怒ると顔が赤くなるたちなので、周りにいた人は「なんだ、この人は!急に顔を真っ赤にして。危ない人かも知れん。近寄らんどこ」などと思っていたかもしれない。

しかし、最近の子供は優遇されているよなあ。
休みはぼくたちの頃よりずっと増えているし、物は満ち溢れているし。
「ここまで過保護にしなくてもいいのに」と思うことがよくある。
例えば、先生から体罰を受けたらクレームをつける親。
子供の言い分だけしか聞かず、一方的に学校が悪いと決めつけ、非があっても「うちの子がそんなことをするはずがない。うちではとってもいい子なのに」とやる。
あほか!お前が「いい子」と思っているから「悪い子」なのだ。

過保護の最たるものが「人権」と言ってもいいだろう。
何かあれば、すぐに「子供の人権」などというわけのわからないことを言う。
万引きしたガキまでが、悪びれず「人権蹂躙」などとほざく。
だいたい人権というのは、人身売買される子供を守ろうということが発端になっているのだ。
犯罪を犯した子供をかばうためのものでも、制服を着なくていいようにするためのものでもない。
犯罪を犯したら、ちゃんと社会のルールどおりに相応の刑を受けさせなければならない。
万引きも立派な犯罪なのだから、窃盗犯として処罰してもらいたいものだ。
「たかが万引きぐらいで」などと軽く扱うから、大きな犯罪も平然と行うようになるのだ。
制服は最初から学校で決められていたルールであり、その子にだけ当てはめたものではなのだから、「着てこない」などというのは、当然その子のわがままに過ぎない。
そういうことを許していたら、思慮のないガキのことだから図に乗るばかりだ。
それが子供の成長や自立のため、などと思っていたら大間違いだ。
あほな大人が後ろで知恵をつけているだけの話じゃないか。

だいたいなあ、・・・
・・・・・
ああ、また顔が赤くなってきた。
このままだと眠れなくなりそうだ。
ということで、今日はここまで。

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