吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2001年10月

一昨日、独り言に登場しているオナカ君が職場にやってきた。
「おお、オナカやないか。読んだか?」
「あ、何を?」
「独り言」
「独り言ちゃ何か?」
「読んでないんか?せっかくメッセージ書いとったのに」
「お前またくだらんこと書いとったんやろう」
ということで、オナカ君は独り言の件で来たのではなかった。

オナカ君はビニール袋を差し出し、「これ、お前にやる」と言った。
中を見てみると、一冊の本と二本のビデオテープが入っていた。
一冊の本というのは、「狂牛病パニック」という狂牛病についての本だった。
「なんかこれ?」
「狂牛病のことを日記に書いたらいいと思って」
何?読書感想文を書けとな!?
ぼくに読書感想文を書かせるとは、オナカ君もいい根性しとるのう。

自慢ではないが、生まれてこの方、ぼくは読書感想文を書いたことがない。
読書感想文の宿題などが出ても、ぼくが書いていたのは「あらすじ」だった。
初めて読書感想文を書けと言われた時に、先生が読書感想文の説明をしていた。
しかし、ぼくはその説明を聞いてなかった。
隣の席のやつに「読書感想文ちゃなんか?」と聞くと、「あらすじのことたい」とそいつは自信たっぷりに答えた。
「そうか、それなら簡単!」と、あらすじをしっかり書いて提出した。
ところが、感想文の発表を聞いて愕然とした。
みんな「○○さんの勇気ある行動に感動しました」とか、「ぼくならこういう時どうするだろうか、と考えさせられました」などと書いている。
「これ、あらすじやないやないか!」
結局、その時あらすじを書いていたのは、ぼくと隣の席のやつの二人だけだった。
あとで他の人に聞いてみると、先生はあの時「決してあらすじを書くことのないように」と言っていたらしい。

このことがあって、ぼくは読書感想文が大の苦手になった。
読書感想文を書けと言われたら、まずあらすじを長々と書いて、最後に「大変感動したので、もう一度読みたいと思います」で締めくくるようになった。
そのうち、読書感想文の宿題は一切提出しないようになった。
高校の時も、読書感想文を書かなかったために、危うく追試を受けそうになったことがある。
しかし、どういうわけか古文・漢文がよかったので救われた。
古文・漢文に読書感想文なんてないもんね。

それにしても、もしあの時、先生の言うことをちゃんと聞いて、まともな読書感想文を書いていたら、おそらく今日の日記は「狂牛病とは・・・で、したがって・・・と思われるが、ぼくとしては・・・である」というような文章になっていただろう。

ところで、オナカ君のこの本を読んだ感想は、「狂牛病にかかった牛の肉を食べても大したことはない。気にするな!」だった。
別にぼくは気にしてはいない。

トップの更新などをしていて、日記のことを忘れていた。
ネタもないし、今日は3時間コースか?
今午後11時58分か、そういえばまだ晩ご飯食べてないんですよ。
仕事のせいで夕飯はいつも遅くなる(だいたい午後10時半から11時に食べ始める)が、今日は極端に遅い。
今日は休みだったのに。
今から飯食ったりしていると、日記更新は午前4時を過ぎるんじゃないのか?

何でこんなに遅くなったんだろう?
今日やったことといえば、トップの更新と、読書と、録り溜めしていたビデオ(今日まで再放送をやっていた“ショムニ”)を見たのと、昼寝ぐらいか。
ヤマダ電機と銀行に行こうと思っていたけど、結局行かなかったなあ。
外に出たのは車を移動しに行った時だけか。5分もかかってない。
結局今日は体を動かしてないということになる。

体を動かしてない翌日というのは、決まって腰痛に悩まされる。
ぼくの腰痛の歴史は長く、高校3年の時から続いている。
体育の時間によくソフトボールの試合をやっていた。
ぼくはいつもセンターを守っていたのだが、ある日フライを捕って内野に返球した時に「グキッ」ときた。
「亜ぎっくり腰」になってしまったのだ。
ぎっくり腰ではなかったので歩くことは出来たが、それがいけなかった。
それを完治させないまま、クラブ活動(柔道)をやったことから、ぼくの腰痛の歴史は始まった。
その後も、電器店に就職して「電器腰」というものにかかってしまった。
「電器腰」とはカラーテレビなど重たい物を持つことにより起こる腰痛で、一種の職業病である。
ただでさえよくない腰を酷使してしまい、完全に慢性化してしまった。
体を動かしても腰痛、休ませても腰痛、一体どうすればいいんだ!?

やっと夕飯が終わった。
そうか、腰痛の話だった。
パソコンの前に座っているのも、腰に対してはあまりいいことではない。
立った時、じじいのように腰が曲がってしまうのだ。
真っ直ぐ伸びるまでに時間がかかる。
だからぼくは座っている時には、なるべく体を動かすようにしている。
最近は癖になっていて、気がついたら、上体を前後右左に揺さぶっている。
でも、これやると酔うんですね。
・・・・・・
ああ、晩酌の酒が回ってきてしまった。
ということで、今日はここまで。

ぼくはむかしから、みんなが当然知っているようなことを知らない。
つまり一般常識音痴である。
例えば色のこと。
「カーキ色」という色があるが、ぼくはこの色がどんな色であるかというのを知ったのは、つい最近のことである。
それまでは「柿色」のことと思っていた。
「ベージュ」、20歳の頃この色のシャツが欲しくて、Gパンセンターに買いに行ったことがある。
店員が「どういう色がお好みですか?」と尋ねたが、「ベージュ」という言葉を知らなかったので、しかたなく「錆びた白」と答えた。
「錆びた白? ああ、この色ですか?」とベージュのシャツを持ってきた。
「お、通用するやん」と思ったぼくは、「ベージュ」という言葉を知るまで、この色をずっと「錆びた色」と言っていた。
「コバルト色」、沢田研二の歌でしか知らない。
はじめてこの言葉を聞いた時、「鉄腕アトムの兄さんの色のことか?」と思い、どんな色か必死に考えていた。
「セピア色」、昨日の日記で使うまで、こういう色の名があることすら知らなかった。
たまたま、あるサイトを見ていたら、この言葉に出会った。
意味を調べてみてはじめて知った次第である。
で、使ってみた。

色だけではない。
横文字がまったくわからん。
本屋で本を探す時、たとえ好きなジャンル(このくらいはわかる)の本であっても、文中に外来語が多いと買わないことにしている。
「日本語で言えることを、なぜ外国語で言おうとするのか?この見栄っ張りが!」と著者を馬鹿にするが、要は自分が知らないのである。
前の会社に勤めていた時、本社からやたら外来語を使いたがる女性が来たことがある。
リニューアル(これもわかる)の打ち合わせのために来店したのだが、ぼくは彼女が何を言っているのかわからなかった。
質疑応答の際、彼女はぼくに「何か質問はありませんか?」と聞いてきた。
ぼくは「何を言うとるのかわからんので、日本語で言うてもらえんですか?」と言った。
彼女は「え!?」とぼくをさげずむような顔をした。
『こんな言葉ぐらい勉強しとけよ』とでも思っていたのだろう。
それ以来、さらに外来語に劣等感を抱くようになった。

その他にも、政治に疎い。法律に疎い。ファッションに疎い。ブランドに疎い。芸能人に疎い。歌に疎い。映画に疎い。ドラマに疎い。小説に疎い。車(種)に疎い。ギャンブルに疎い。ゲームに疎い。流行に疎い。・・・・。自分の興味あるもの以外は、すべて疎い。

「しろげしんたさん、じゃあ、あなたは何に興味あるんですか?」
「はい、日本史と、宗教と、中国と、韓国と、朝日新聞と、平和仮面と、人間観察と、ありの観察と、友だちの癖と、知り合いの真似と、“頑張る40代!”です」

昨日、うちのパートさんと話していてちょっと驚いたことがある。
そのパートさんの次女は、なんと生まれた時の記憶を持っているらしく、その時、その病院に、誰と誰がいたということを言い当てるというのだ。
前世の記憶を持っている人がいるということは聞いたことがあるが、生まれた時の記憶を持っているというのを聞いたのは初めてだ。
それを今でも覚えているとは、すごい記憶力である。たしか今高校生だったと思うが。

ところで、以前ここで前世の記憶を語ったことがあるが、ぼくは輪廻転生を信じている。
前世に働いていたと思われる工場の風景や、花街の風景の記憶が時折蘇ることがある。不思議とセピア色した記憶で、なんとなくかび臭い。
映画などで昔の看護婦の看護帽を見たり、赤十字のマークを見たりすると恐怖を感じるのも、前世の記憶だろう。

最近この輪廻転生について、「本当に未来に生まれ変わることなんだろうか?」と疑いを抱くようになった。
霊の世界には時間というものがないと聞くが、もしかしたら今の人生が終わったら、また同じ人となって同じ時代に生き直すのではないだろうか。(ぼくの例で言えば、平成○○年に死んで、また昭和32年に生まれるということだ)
つまり、何度も何度も同じ人生を繰り返させる、ということである。
何のためにそんなことをするのか?
その人を霊的に完成させるためである。
前の人生で経験した様々な出来事を、潜在意識の中に埋め込んで、また同じ人として同じ時代に送り出し、前の人生の修正をさせる。
こうして、一歩一歩、霊の完成に近づかせていく。

もしそうであれば、「運のいい人」の説明も簡単につく。
「運のいい人」というのは、何度も同じ世に生まれ変わり、前世を充分に記憶している人のことだ。
前世の失敗を把握しているので、今生では失敗の方向に進まない。
だから成功するのだ。
「ああ、この場面は前回失敗した場面だ。あの時はこちらに行って失敗したから、今回は逆に行ってみよう」と前回と逆の行動をとり成功に至る。
予知能力を持った人というのも、前世の記憶を持った人だということになる。
すでに体験した将来のことを語っているだけに過ぎない。
ということは、予知能力者は別に超能力者ではなく、ただ人並み以上に記憶力が優れている人ということになる。

しかし、そうだとしたら面白くないなあ。
ぼくは22世紀を体験できないことになる。
“しろげしんた”として、永遠に20世紀と21世紀を往ったり来たりするだけなんだから。
ああ、ドラえもんに会いたーい!

1、不思議な道
うちの店は午後8時に閉店するのだが、残務処理を終わらせて、店を出るのはだいたい午後8時20分頃だ。
通勤時間は車で約20分だから、午後8時40分には家に着く。
ここ数年、だいたいこのパターンである。
しかしこのごろ、おかしな現象が起こるようになった。
それは、土曜日になると決まって国道3号線の一区間が大渋滞するのである。
それはスペースワールドの前を過ぎたあたりから始まり、約1km先の桃園で終わる。
この1kmを通過するのに、10~20分を費やす。
最初の頃は「事故でもあったんだろうか?」などと思い気にもとめなかったが、毎週続けて渋滞するので「これはおかしい」と思うようになった。
「スペースワールドの影響か?」とも思った。
しかし、ぼくが帰る時間は、スペースワールドはもう閉館したあとなのだから、その線はありえない。
新日鉄の出退勤の時間でもない。
桃園にあるボーリング場に入る車(ぼくの帰る車線からは右折しないと入れないが、右折車線はない)の影響かとも思ったが、そうでもなさそうだ。
いったい何がどうなっているんだろう?
そこ(桃園)を越えると嘘みたいに車が減るのだ。
桃園では左折する車もあるのだが、そう多くはない。
いったいあれだけ渋滞していた車はどこに消えたんだろう?
不思議なことである。
今日、家に帰り着いたのは午後9時であった。

2、勝手に録画するビデオ
毎週土曜日、午後7時からテレ朝系で「これマジ!?」という番組をやっている。
いろいろな怪奇現象を紹介する番組である。
以前、ぼくはこの番組を毎週予約録画して見ていたのだが、最近は見る時間がないので、何週か前の特番を機に予約を取り消した。
ところがである。今日家に帰ってビデオをチェックしてみると、ちゃんと録画されていたのだ。
「えっ?」と思い予約一覧を見てみたが、やはりこの時間帯の予約はない。
「前のヤツか?」と思ったが、ちゃんと今日の「電波少年(東京で21日放送した分。日曜の午後10時30分はローカルバラエティをやっている関係上、こちらでの放送は同じ週の土曜日の午後5時から)」のあとに入っている。
こんなことは今までなかった。
何が、どうなっているんだろう・・・?

3、これマジ!?
しかたなく、「これマジ!?」を見てしまった。
UFOのコーナーがあったのだが、そこでUFOの実写ビデオを流していた。
「おお! これと同じ物を見たことがある!!」
今日のUFOの形は三角形をしていた。
ぼくが見たのも、それと同じ三角形だった。
光り方もいっしょだった。
「そうか、あいつらまだ地球にいたのか。お前達は誰だ?宇宙パトロール隊か?地球侵略隊か?まあ、そんなことはどうでもいい。ひとつ頼みがあるんだけど聞いてくれるか?そんな田舎でミステリーサークルを作らなくていいから、アフガニスタンをどうにかしてくれ!!」

メールが溜まりすぎている。
メルマガをたくさんとっているが、ほとんどが未開封になっている。
今日はちょっと読んでやろうということで、とりあえずジャンル別に振り分けた。
自動振り分けのルール設定をしてないので、かなり手間取ったが、何とか読みたいものだけは振り分けを終わらせた。
その作業の最中、ふと思ったことがある。
人間の気持ちというものも、このフォルダのように振り分けられている、ということだった。
例えば、誉められたら「嬉しい」というフォルダに収められ、けなされたら「悔しい」というフォルダに振り分けられる、ということだ。
さらにそのフォルダの中の、その人の経験で作った「新しいフォルダ」に振り分けられる。
「嬉しい」→「喜び」→「木に登る」とか、「悔しい」→「怒り」→「やけ食い」などと細分化されていく。
人間の心というものは、難しく出来ているらしいが、突き詰めたらメールの振り分けと同じようなものだろう。

ところで、メールの「受信トレイ」にあたるものは、「苦」であろう。
仏教では、「喜怒哀楽」すべてが「苦」の所産だと教える。
般若心経の中にも「生老病死の苦」という言葉が出てくるが、宗教というのはこの「苦」の対策なんですね。
人間、この「苦」というものがなければ、宗教なんかは必要ない。「苦」がなければ、人は安穏として生きていけるのだから。
さらに、この「苦」の根源にあるのが、「嫌」というものである。
つまり、仕事が「嫌」だから「苦」になり、死ぬのが「嫌」だから「苦」になる、ということである。
この「嫌」がなかったら「苦」というものは存在しなくなる。
どうにかしてこの「嫌」をなくしたいものである。
先ほどのメールではないが、この「嫌」を自動的に削除する方法はないものだろうか?
そこから宗教というものが誕生したのだと思うのだが、先人はその方法に苦心してきた。
東洋人は、禅や念仏という手段を用いた。
座禅を組み、この「嫌」を徹底的に追い出したり、念仏を唱え、この「嫌」を思い出さないようにしたり、と自分自身との格闘に取り組んだ。
一方西洋人は、「嫌」は自分の中にあるものではなく、「嫌」という対象物があると捉えている。
「嫌」な相手は神の名のもとで徹底的に攻撃するとか、「嫌」な病気があれば徹底的に切りとるとかいうように、対象物との格闘に取り組んだ。
つまり「嫌」を削除するために、「嫌」を構成している対象物を破壊する道を選んだのだ。
自然と共存する東洋人と、自然を征服する西洋人との差も、ここにあるのだと思う。

そこで思うのだが、近代の西洋人の戦争というのは「嫌」狩りだったのだろう。
この辺が、日本の近代戦争と異なるところだ。
平和仮面たちは、大東亜戦争を「侵略戦争」と呼ぶが、これもアメリカが日本を「嫌」者にした結果である。
日本としては、あくまでもアメリカを「友好」というフォルダに入れたかったのである。しかし、執拗に日本を「嫌」者扱いにするアメリカに、とうとう日本もアメリカを「嫌」というフォルダに入れてしまった。

それにしても、最近は「嫌」が多くなった。
座禅組むのは疲れるし、念仏唱えるのは面倒だ。
「嫌」→「削除」といきたいが、そううまくはいかない。
「嫌」→「酒」→「寝る」→「削除」、これでいこう。

明日は休みということで、今日は遅めの更新になりました。
さて、今日は何を書こうか?

最近、「パール判事の日本無罪論(小学館文庫)」という本を読んでいる。
パール判事とは東京裁判で「被告人全員無罪」を主張した、ただ一人の判事である。
映画「プライド 運命の瞬間」でも、主役の一人として描かれている。
まだ読みだしばかりなので、この本の詳しい内容はわからないが、以前読んだほかの東京裁判関係の本では、「パール判事はなぜ無罪だとしたか?」という理由が、「東京裁判自体が無効だからだ」という簡単明瞭なものであった、と書いていたように記憶している。
この本を詳しく読んでいけば、もっと他の理由もあるとは思うが、パール判事のおっしゃるとおり、裁判自体が無効なら罪など成立しない。
戦勝国が身勝手な法を作り、敗戦国に罪を突きつけただけの話である。
別に国際法で「負けたら勝った方の言い分を聞くように」というものがあるわけではない。
これこそ、「東京裁判無効」の根拠である。
東京裁判とは、やくざの抗争で、勝った方の組員が負けた方の組員に「お前ら、勝手に人の縄張りを荒らしやがって。その上堅気衆の上前はねるなんざ、もってのほかだ!」と言って、「お前はコンクリート詰め」「お前はスマキだ」「お前は指をつめろ」と勝手に裁くのと同じことを、国家レベルでやったものにすぎない。
こんなもの無効に決まっているじゃないか。
冷静な目で見たら、この裁判が有効かどうかわかるじゃないか。

しかし、この無効裁判を自らの利益のために、有効だと言い張るアホな人たちがいる。
中華饅共和国とキムチ民国と朝鮮から日が昇る新聞と平和仮面の人たちである。
彼らは何かにつけ「縄張りを荒らす腐れが!」と怒鳴り散らす。
さらに靖国神社には、「コンクリ野郎やスマキ野郎を祭るな!首相はそこに参るな!」と因縁をつけてくる。
このウサンクサイ連中の嫌がらせが、この先何年、いや何十年続くんだろうか?
おそらく、ぼくが死ぬ頃にもまだやっているだろう。

これは教育レベルで歴史の真実を教えても、到底打開できるものではない。
もはや道は残されてないのか、というとそうでもない。
ただひとつの道は残されている。
それは、東京裁判の無効を訴えての裁判をやることだ。
つまり「東京裁判裁判」をやるのだ。
世界に向けて無罪を訴えていくのだ。
敗訴しても何度でも訴えていくのだ。
何年かかっても、何十年かかっても、「東京裁判裁判裁判・・・・」となっても、「東京しつこい裁判」と言われても、とにかく勝つまで徹底的にやることだ。
そうしないと、この国はアホな平和仮面だらけになり、いつか滅びていくだろう。

ぼくがマンガを真剣に読み出したのは、小学2年の時である。
マンガがぼくのその後の性格を形作ったといってもいい。
それまでは、変わった人間ではあったが、わりと大人しい性格だった。
しかし、マンガを読みだしてから、徐々に変身していった。

何が変わったかというと、とにかくよく喋るようになったのである。
これは「おそ松くん」の影響だと思う。
とにかく、誰にでも話しかける。
近所のおじさんやおばさんにもよく話しかけていた。
おかげで、近所で有名になってしまった。
10年ほど前に小中学校の同窓会があったのだが、当時近所に住んでいた子が、「うちのお父さん、今でも『しろげしんたはどうしよるか?』と訊くんよ」と言っていた。
母が町内会の役員をしていた時、集会で知らない人から「息子さんは元気にしていますか?」などと声をかけられたらしい。
「え? しんたのことですか?」と訊くと、「ええそうです。息子さんが小学生の頃、うちに来て、よく屁理屈を言っていた」と懐かしがっていたということだ。

この頃「~じゃん」とよく言っていた。
実はこの「~じゃん」を、ぼくは「おそ松くん」独自のしゃべり方だと思っていた。
中学の時、横須賀の親戚が遊びに来たのだが、その時あまりに親戚の人が「~じゃん」と言うので、「この人たちも“おそ松くん”を読んでいたのかなあ?」と思っていた。
「~じゃん」が関東の方言だと知ったのは、20歳の時、上京してからだった。

小学3年の一学期、ぼくが隣の席の奴とおしゃべりばかりするので、席替えさせられたことがある。
休み時間だけではなく、授業中もずっと喋っている。
先生からいつも「廊下に立ってなさい」と言われていた。
ある日、隣の席の奴の親が「しんた君と同じクラスだと勉強せんけ、違うクラスにしてくれ」と怒鳴り込んできた。
担任は「クラス替えは出来ない」と突っぱねた。それでもその親がしつこく言うので「じゃあ、席を替えましょう」ということになった。
あとで担任に「あんたがペラペラ喋るけ、こんなことになるんよ」と文句を言われた。

当時ぼくはソロバン塾に通っていた。
そこでもおしゃべりは続いた。
先生からソロバンで何度頭を叩かれただろう。
「学校で充分喋ってきたんだろうから、ここでは静かにしなさい!」といつも言われていた。
こんなことだから、なかなか昇級しなかった。
他の人の3倍はかかったと思う。
ソロバン塾には3年間通ったが、4級までしか取れなかった。
普通は1年くらいで取れる級である。
塾をやめる時、先生から「もうちょっと落ち着きを持たないと、何をやってもだめだ」と言われた。
ぼくは「何を言っているんだろう?」と思っていた。

ぼくがその落ち着きを持つようになるのは、中学2年になってからである。
「あしたのジョー」にハマってしまったのだ。
当時、性格や考え方がジョーになりきっていた。
結局ここでも、マンガが影響した。
その後も何度か、自分の中で性格が変わっていったが、その時々に読んだマンガの影響がかなり強い。
最近の性格は、5年程前に読んだ手塚治虫の「シュマリ」の影響を強く感じる。
主人公シュマリは、子供っぽい大人である。

今日は7時50分に家を出た。
休みだったのだが、8時半から会社でイベントをやるから来いというのだ。
ぼくはいつもは、9時半から朝礼があるので、9時に家を出ている。
その時間帯、渋滞はほとんど解消されているので、比較的早く会社に着く。
家から会社までは、だいたい20分ほどだ。
しかし、今日の場合はどのくらい渋滞しているかわからない。
しかたなく、7時50分に家を出たしだいである。

会社に行くためには、県内でも有名な渋滞地区黒崎を通らなければならない。
ぼくは高校の頃から、いつもこの渋滞に泣かされた。
ぼくの住んでいる所から高校に行くためには、黒崎でバスを乗り換えなければならない。その黒崎まで行くバスが、時刻表どおりに黒崎に到着しないのだ。
ぼくの通った高校は黒崎を通らないと行けない場所にあったので、洞海湾を逆に周って若松・戸畑経由(かなり時間がかかる)で行く以外に、黒崎を避けて高校に行くすべはない。
当時黒崎発で高校の最寄のバス停通るバスは、8時台には2本しかなかった。
たしかあとのほうが8:21発で、これに乗り遅れると遅刻ということになった。
だから、うちの高校の生徒は、みんな必死でこのバスに乗り込もうとする。
乗車率はいつも150パーセント以上になっていたと思う。
一般のお客が乗っていて、途中で降りようものなら、運転手は言葉を荒げて「ここで降りるんなら、このバスに乗らんで下さい!」と言っていた。
しかし、ぼくは渋滞のおかげで、このバスには乗れなかった。
このバスが発車する頃には、ぼくはまだ2つ手前のバス停にいた。
で、高校3年の時、遅刻回数は100日を軽く超えていた。
担任は他校でも有名な頑固な先生であった。
最初の頃は「遅刻したらつまらん!」と尋常な注意を受けていたのだが、あまりに遅刻が多いので、拳骨をもらったり、職員室前で正座をさせられたりした。
三者面談の時にも、進路の話はそっちのけで、遅刻ことをしきりに母親に言っていた。
が、母親もこの渋滞の被害者だったので、息子の弁護をした。
担任は「それなら1本早いバスで来なさい!」と言うと、母は「その1本前のバスがないんです!遅刻しないよう、バスの本数を増やしてくれるように、先生から西鉄に言って下さい!」と応戦した。気丈な母親である。
担任は、もうそれ以上遅刻のことを言わなかった。

 ※ この黒崎という地区は、昔から交通の要所で、長崎街道はこの黒崎が起点になっていたのだ。
実際は小倉が起点だが、下関からの船は黒崎に着いていた。参勤交代は豊前を通らずに筑前から船で長州に入っていた。ちなみに司馬遼太郎の「竜馬が行く」でも、長州から太宰府に向かう竜馬が、下関から船で黒崎に入ったと書いている。
ということは、この頃下関~黒崎間の船便はけっこう多かったらしいから、船の渋滞もあったかもしれない。
ということは、竜馬も遅刻したのだろうか?

さて、そんな黒崎を通り抜けていくために、通常の所要時間の2倍、つまり40分間を想定して出かけた。
ところが、面白いことに気がついた。
家から黒崎に向かう道は片道2車線なのだが、左車線は詰まっているが、右車線のほうは比較的スムーズに動くのだ。
2km近く渋滞している左車線を尻目に、ぼくは右車線をスムーズに進んでいった。
そして、左車線の渋滞の先頭の所まで来ると、どの車も道沿いにある三菱化学に入ろうとしている。社員の出勤時間だったのだ。
「右車線に入っとってよかった。今日は運がいい」とぼくは思いながら、会社に向かった。
途中、その他の場所で渋滞につかまり、着いたのは8時25分だった。
「間に合った。よかった。やっぱり今日は運がいい」と思い事務所に入ると、店長が「お、しんちゃん今日は早いねえ」と言った。
「だって8時半からでしょうが?」と言うと、「ああ、この店は9時でよかった」と言った。
せっかく朝早く家を出て、渋滞を要領よくかわしてきたのに。それも休みなのに。
あーあ、今日は運が悪い。

さて、ネタもないままにパソコンに向かう40代です。
この日記は、だいたい午後11時ごろから書き始めるのだが、書き上げる時間は、ネタありで1~2時間、ネタなしで2~3時間かかる。
今日はネタがないから2~3時間路線である。
日記を書いている時は、タバコの量が増える。
普段は1時間1本のペースなのだが、この時ばかりは5分間に1本のペースになる。
さらにコーヒーなどを飲んでいる。
体によくないのは重々わかっております。
しかし水分を含んでないと、タバコがまずいからねえ。
このところよく飲むコーヒーは、ブレンディーのボトルのやつだ。
仰々しく「低糖」と書いている。
こういう表示に、ぼくはつられてしまう。
普通の甘さのやつに比べ即効デブにはならないが、すこーしずつ脂肪がたまっていき、取り返しのつかない慢性デブになっていく。
それを知りながら、「“低糖”やけ、いいやろう」とつい飲み過ぎてしまう。
このところ、ズボンがきつく感じるのは、その「すこーしずつ脂肪」のせいだろう。

「さて、今日は何を書こうか?」などといって、ネタ探しにテレビを見てしまうこともある。
ちょっと興味がある番組などがあると、もう2~3時間ではすまなくなる。
休みの前日などによく陥るパターンだ。
「どうせ明日は休みやけ・・・」と番組を最後まで見てしまい、さらには次の番組まで見てしまう。
気がつけば午前3時を過ぎており、「明日は何時まで寝ようか?」などと考えながら日記を書く。
そういう時は、日記を書き終えるのが5時や6時になってしまう。
しかも、○時まで寝るつもりが、毎朝8時にセットしている目覚し時計に起こされ、それからまたパソコンにハマってしまう。
結局寝不足のまま、その日の日記を書く羽目になる。
そしてまた「何書こうか?」などと悩んでいる。
この悪循環をどうにかしなければならない。

そういえば明日は休みだ。
しかし、いつもより早く起きて会社に行かなければならない。
そんなことを考えながらも、読みかけの本を読んでいるぼくは馬鹿だ。
最近買った「ビゴーが見た日本人」という本だ。
画家ビゴーが描いた、明治時代の日本人の画が面白い。
外国人から見た日本人というのは、どうしてこんなに貧相な顔をしているのだろう? みなゴッホの「自画像」のような顔になっている。
今でも、外国人はそう見ているのだろうか?
「ぼくは頬に肉はついてないが、決して貧相じゃないぞ!腹はデブだ」
これだけは伝えておかなければ。

今日も余計な動作が多い。
早く書き上げねば・・・。

今日鏡を眺めていると、鼻から白い物が出ているのに気がついた。
「鼻糞か?」と思って取ろうとしたが、取れない。
よく見てみると、白い鼻毛が出ているのだ。
「おお!とうとう鼻毛までが、“白毛のしんちゃん”になったか・・・」と少し落ち込んでしまった。
たしか以前にも鼻白毛があったような気もするが、その時はあまり気にはしてなかったのだろう。
しかし、今日は変に気になる。
そこで、抜こうと思い指を持っていったのだが、あまりに短すぎてつかめない。
何度もやってみたが、だめだ。
結局、丸刃のシェーバーで剃ってしまった。
で、今は鼻のあたりがヒリヒリしている状態である。
「これから先ずっと鼻白毛と付き合っていかなければならないのか」と思うと気が重くなる。

ところで、ぼくは休みの日にはひげを剃らないようにしているが、その短く生えた無精ひげの中に、白毛を見ることがある。
しかし、この時は「無精ひげに白毛が混じると、かっこよく見えるのう」などと思い、逆に喜んでいる。

最近は頭のほうもそうだ。
2,3年程前までは嫌だったのだが、今では「おっ、わりと白髪が似合っとるやん」と一人悦に入ることもある。
この白髪のおかげで、人にインパクトを与えられるし、“しろげしんた”というハンドルネームも思いついたし、白髪様様の今日この頃である。

ぼくの眉毛は真っ黒である。
「頭は白いのに、どうして眉毛は黒いのか?」とよく言われる。
4、50代で白髪頭の人で、眉毛が白い人見たことありますか?
ぼくは見たことはない。
そこまでいっている人は、もう60代後半だろう。
だけど、眉毛が白くなったら・・・。考えるなあ。

それはそうと鼻白毛の奴。
何も自慢材料にならんやないか。
かっこよくも何もない。
人の見世物になるのがおちだ。
3本もまとめて同じ場所に生えやがって!!

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