吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

 10年前の今日、いったいここに何を書いていたのかと調べてみたら、『やめといてよかった』というタイトルで、書き出しが「今日からタバコ代が値上げか」である。この国は、10年前も同じことをやっていたんだな。

 ぼくは2007年4月までタバコを吸っていたのだが、その時吸っていたタバコが〔マイルドセブンスーパーライトボックス(現メビウススーパーライトボックス)〕で、価格が260円だったのを憶えている。それが2010年に410円になったのだ。150円も上がったので、『やめといてよかった』となったわけだ。
 それが10年後には540円、ぼくが吸っていた時代からすると、倍以上だ。本当にやめといてよかった。

 ああ、もう10月じゃないか。中秋に入ったのか。入院していると、季節がわからなくなる。まあ、そう日にちは経ってないのだから、入院した日とあまり変わりはないと思うのだが、それでも少しは涼しくなってきているのではないかと思っている。

 さて、28日からリハビリが始まっているのだが、元気なしんたさんは、病室のある4階からリハビリ室のある1階まで、エレベーターを使わず、階段で下りて行った。
「しんたさん、無理しなくていいですよ」
「エレベーターだと、待たないとならないじゃないですか」
 わりと性急なぼくは、待つことが嫌なのだ。そもそも歩けないわけではないので、ここはリハビリも兼ねて歩くべきだろう。

 しかしリハビリの暇なこと暇なこと。あまりに暇だったので、ついでに筋トレもやっておいた。何せ元気なしんたさんだから。

 夕方、介護関係の方がリハビリの結果を聞くためにやってきた。彼もぼくを見るなり、『えっ!?』という表情をして、
「しんたさんは元気ですね」
 と言った。
 当分『元気なしんたさん』を演じなければならない。

 何年か前、地元の山の、山頂付近に住むお客さんの家に行ったことがある。車で登れる程度のさほど高くない山なのだが、それでも山道はつきもので、登って行くにつれて、カーブは多くなるし、道幅もだんだん狭くなる。最後は1台がやっと通れるくらいまで狭くなった。

 それに伴って変わっていったのが、場の雰囲気だった。平地とはまったく違うのだ。神域に入って行くというか、何というか。

 そのお客さんの家の造りは、平地にあるそのへんの民家と変わらないものだったが、家の中は何か神々しく感じた。お客さんもその家族も、何かおっとりした感じの方たちだった。きっと山の神に守られている家だったんだろうな。

 入院していると、いろいろなスタッフが入れ替わり立ち替わりやってくる。医師や複数の看護師、清掃の方、食事を持ってきてくれる方等々だ。
 入院して二日目にやって来たリハビリ担当のお兄さん、ぼくを見るなり、
「えっ、しんたさん、元気ですねえ」
 と言った。そこでぼくは、
「はい、元気ですよ」
 と、元気よく答えた。
 考えてみたら、少なくともその二日前までは、元気に働いていたのだ。元気でないはずがない。多少の痺れ以外は、手も足も動くし、意識もこの日記を書くくらいにハッキリしている。
 あとは、この元気さの維持なんだろうな。そこで落ち込むと病気に負けてしまう。入院を促した嫁さんにも怒られる。

 車を運転していると、たまに不可解なことに遭遇する。まあ、不可解と言っても、大したことはないのだが。

 いつだったか、バイパスを走っている時に、前を走っていた車が、急に何かをよけるようにハンドルを切った。自転車かバイクが走っているのかと思い、こちらもハンドルを切ろうとしたが、前の車がよけた場所には何もいなかった。
 車高の低い車なら段差を避けるために、そういうことをすることはあるのだが、その車は普通の車だった。そこ以外はフララせずにちゃんと走っていて、居眠りでも酒気帯びでもなさそうだった。

そういえば、昔ある人から聞いたことがある。その人の先輩が運転する車に乗っていた時のこと。
「あ、人がおる」
 と、先輩が言った。
「えっ、どこですか?」
 その人が周りを見回したが誰もいない。
「誰もいないじゃないですか」
「ああ、霊か」
 その先輩は、霊感の強い人だったらしい。

 前の車の運転者も、そういう人だったのだろうか?

 病室は東向きで、ベッドは窓ぎわにあり、朝になるとぼくの顔をめがけて日が差し込んでくる。普段西向きの部屋で生活しているぼくには、それがきつい。
 しかし、悪くない一面もある。東向きだから、窓ぎわだから、毎朝この市のシンボルである、皿倉山が拝めるのだ。
 また、ここは街の中心地に近いので、夜になるとマンションの灯りや、高速ランプの灯りが見えるのも嬉しい。日常生活の環境の中で生活をしている感触がいいのだ。

 入院してどんな治療を受けているのかというと、点滴だけだ。後日リハビリをやるらしいが、手術をするわけでもないし、やることはそれくらいしかないんだろうな。

 まあ、とにかく暇で暇で。こういう所でテレビは見たくないし、ヘッドホンを忘れたのでスマホに入っている音楽は聴けないし、本を持ってくるのは大変だし。

 そこで、スマホに入れている電子書籍を読んでいるのだが、文芸ものはいいものの、マンガの文字は小さくて読みづらい。1ページごとに拡大すれば読めるものの、いちいちやるのが面倒だ。嫁さんに言ってKindle持ってきてもらおうかな。

 でも、あいつ機械に疎いから、「Kindle」と言ったって、何のことがわからないだろう。運よくそれがわかったとしても、きっと充電用のケーブルでつまずくはずだ。最近はケーブルの種類が多すぎるんだよ。どれかに一つに統一してもらいたいものだ。

 それはともかく、この暇な日々をどう過ごそうか。麻雀や花札などのゲームでもやっていようかな。

 今回の入院の件だが、たまたま行ったパン屋の一角に、脳神経外科があったことは、何かの導きだったのだろう。そういえば、最初に痺れた時、無意識に延命十句観音経を唱えていたな。これも霊験だったのかもしれない。

 ということは、ほどなく退院できて、何事もなかったように社会生活に戻れるに違いない。今度はそれを信じて十句経を唱えていこうと思っている。

 ホント、若い頃の鬱状態の時といい、嫁さんの病気の時といい、再就職の時といい、今回の件といい、このお経にはいろいろ助けられている。何か恩返ししないとな。

「おかしいな」
 と思ったのは、25日の朝方だった。目が覚めてパソコンの前に座り、マウスを握ったのだか、何となくいつもと感覚が違う。カーソルの位置が定まらないのだ。
「寝ぼけているのかな」
 と思い、席を立ち顔を洗いに行った。洗面所の前に立つ。
「えっ?」
 うまく蛇口が回せない。いや、回せるのは回せるのだが、右手が痺れている。
 足は?何とか歩けるが、股関節のところにちょっと違和感がある。
「もしかしたら」
 と思い、再びパソコンのマウスを握る。そして、今までの症状を打ち込んで検索してみた。結果は、「脳梗塞」だった。
 ところが、結果を見ているうちに、だんだん痺れが取れてきた。
「考えすぎ?」
 それから数時間、完全に痺れはなくなっていた。

 さて、25日は休みだったが、当初何も予定はなかった。朝あるサイトで、食パンの専門店が近郊に出来たという情報を得た。そこで「行ってみようか」ということになり、嫁さんと買いに行くことにした。
 ところが、車のドアを開けた時、また痺れがぶり返したのだ。とりあえず運転は出来たので、現地まで行き、嫁さんにパンを買いに行かせ、ぼくは休んでいることにしたのだか、駐車場が空いてない。散々探したあげく、ようやく空いている場所を見つけた。

 車を止め、嫁さんをおろし、そこで寝ようかなと思い、何気なく後ろを見たら、なんとそこは脳神経外科だった。
「もしかしたら呼ばれているのかも」
 と思い、嫁さんが帰ってくるのを待って、その病院の中に入った。

 いろいろ症状を聞き、頭の検査をしたあと、医者が言った。
「〇〇病院に紹介状を書きますので、今からすぐに行ってください」
「えっ、入院するんですか?」
「そうです」
「何日くらいですか?」
「わかりません」
 おいおい、仕事もあるのに、どうしたらいいんだ。そもそも長期入院などしたことないので、何を用意していいのかわからない。
「心の準備ができてないんで、来週からとかダメですか?」
「後遺症で不自由な生活をしていいんなら、かまいませんよ。とにかく、この病気は早く治療した方がいいんです」
「・・・」
「では、入院ということでいいですね?」
「はい」と、嫁さんが返事した。

 小学6年の夏休みに、ダイエーの前で売っていたひよこを買った。さっそく『ピーコ』という安易な名前をつけ、お菓子か何かの木の箱を改造して巣を作り、飼い始めた。
 買ったのは一匹だけだったので、寂しいピーコはすぐにぼくに懐いた。とにかく、トイレに行けばトイレに、風呂場に行けば風呂場にというように、ぼくの行くところ行くところについてくる。

 9月になり学校が始まった。ついて来られたら困るので、学校に行く時カーテンを閉めて部屋を暗くしておいた。夜と勘違いして眠るだろうと思っていたのだ。ところが、家に帰ってみると、ピーコは巣箱から出てピーピーと寂しそうに鳴いていた。ところが、ぼくの姿を見るなり、寂しそうな「ピーピー」は歓喜の「ピー」に変わり、ぼくのところまで駆け寄ってきた。

 ある時、面白いことに気がついた。ぼくがハエ叩きで蝿を叩くと、ピーコがやって来てそれをペロリと食べるのだ。そこでずっと蝿を食べさせていた。「さすがにこれは大きすぎて食べんだろう」と、ゴキブリを叩いてみると、やはりペロリと食べてしまう。そのうちぼくがハエ叩きを手に持つたびに、ピーコは歓喜の声を上げてそばに来るようになった。

 冬になり、ピーコにトサカが生え始めた頃、母が言った。
「ニワトリになったら、庭のないうちでは飼えんよ」
「でも・・・」
「面倒見れんようになるよ。それよりも(親戚の)おばちゃんのところは庭があるけ、そこで面倒見てもらったほうがいい」
 ということで、ぼくは泣く泣くピーコを手放した。
 その後、親戚の家にピーコを見に行くたびにピーコは成長し、ぼくが中学1年生になった頃には立派なニワトリになっていた。しかしピーコぼくのことを忘れたのか、呼びかけても知らん顔をするし、手を出すと怒って力いっぱいつついてくる。

 そういうピーコの最期はその年の秋だった。伯父から電話が入り、
「ピーコを絞めてもらってきたぞ。今夜料理するけ、お前も食べに来い」
 と言う。手塩にかけて育てたピーコの肉を食べられるわけもなく、ぼくは辞退した。というか、たくさんの蝿やゴキブリで出来ているピーコの肉を、体内に入れたくなかったのだ。

 数日前の夜中、国道でぼくは信号待ちをしていた。
 信号が青に変わり、ブレーキから足を離そうとした時だった。突然ぼくの車の右手から飛出してきて、横断歩道を走り抜けた人がいた。
「危ないな。何やってるんだ」
 と怒りモードに入りそうになった。ところが、その格好を見て、怒りモードは好奇心モードに変った。

 その人は陸上選手の格好をしていて、肩からタスキを掛けていた。
「えっ、こんな時間に駅伝やっているのか?」
 と周りを見回したのだが、その人の他に走っている人など誰もいない。というかギャラリーも歩いている人も、いや生き物の気配すらない。
「ああ、チームで練習しているのだろうな。一本道だから、きっとこの先に仲間がいるはずだ」
 そんなことを考えながら、ぼくはその人を追い越した。

 ところが行けども行けども、タスキを受け取る人は見当たらない。
「もしかして、あの人一人だけで走っていたのか」
「それなら何でタスキ掛けていたんだろう。駅伝の練習をしていたんかな」
「そういえば、追い越す時、笑っているように見えたなあ」
「そうだ。青白い顔をしていた」
「しかし横顔しか見えないはずなのに、何で顔がわかったんだろう?」
「あっ、そういえば街灯の下を走っているのに、あの人の影がなかった」

 考えていくうちに、だんだん恐ろしくなっていった。
「もしかしたら、あの人・・・」

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