吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

 眼科に行くのは、小学生の頃に疑似トラコーマで一度、中学生の頃にも同じく疑似トラコーマで一度、二十代後半に瞼裏にものもらいが出来て一度、それと今回、生涯併せて四度目になる。

 病院に入って感じたのは、さすがに目の病気は直接命に関わらないので、待合室にいる患者さんも、先月入院していた総合病院の患者さんと比べると、どこかのんびりしている。そののんびりの中で居眠りしている時に、ぼくの名前が呼ばれた。

 診察室で目に光を当てるなどして検査。そして先生が病名を告げた。
「サンリュウシュですね」
「何ですかそれ?」
「俗に言うめいぼです」
「めいぼですか、でも痛くないですよ」
「そうですね。この手のめいぼは痛みを伴いません」
「そうなんですか」
「既にめいぼは治ってるんですけどね」
「えっ、治ってるんですか?」
「はい、治ってます。でも芯が残っているから、腫れたようになっているんです」
「じゃあ、ずっとこのままなんですか?」
「半年くらいしたら小さくなると思いますよ」
「半年もかかるんですか?」
「切開して芯を取れば早く治るんですけど、それをしたがる人はほとんどいません。今回は目薬で治しましょう。早く治ると思います」

 ということで、およそ三ヶ月間気になっていた眼病は、既に治っていた『めいぼ』と判明。二ヶ月分の目薬をもらったので、もしそれで腫れが引かなければ、年明けにまた目医者に行かなければならない。次は生涯五度目になる。

 9月2日に、左の瞼が腫れていることをここに書いたのだが、あの後もなかなか腫れが引かなかった。だんだん気になってきたので、9月の下旬に『しかたない、目医者に行くことにするか』と思っていた。ところがその矢先、ぼくは一般に大病と言われている病気にかかってしまい、入院しなければならなくなった。

 退院後、休みの日には保険の手続きや年金の手続きなどをやっていた関係で、なかなか目医者に行く時間が取れなかった。というか9月の時点と腫れの大きさがあまり変わってなかったので、気になりながらも行くのが面倒になっていたのだ。

 ところが二日前の夜、嫁さんから
「瞼の腫れが酷くなってるよ」
 と言われた。
「えっ?」
 鏡を見てみると、なるほど瞼が赤くなっている。さらに瞬きすると何か引っかかるような感じがする。
「もしかしたら、脳梗塞絡みかも」
 怖くなったので、翌日目医者に行くことにした。

「しんちゃん、倒れて病院に運ばれたんだって?」
「えっ、倒れてないですよ」
「噂になっているよ」
「確かに入院はしたけど、倒れて病院に運ばれたわけではなく、ちゃんと自分の意思で診察を受けに行き、そこで紹介された総合病院へは歩いて行きました」

 ぼくを知っている人たちの間では、『しんたが倒れて病院に運ばれた』ということになっているらしい。


 今回の病気について、自分なりに原因を追及している。医者はその原因を「血圧が高いから」と言った。では何で血圧が高くなるのか─それは教えてくれなかった。

 歩き回っている時、いろいろと考えていたのだが、一つ思い当たることがあった。何年か前、手相を観る方に占ってもらったことがある。その人はぼくの手を見るなり、
「あなた、水分が足りてないですよ」
 と言った。それは手相でも何でもなく、手の状態を見て言ったのだ。
「少しカサカサして、赤みがかっているでしょ?」

 言われてみればその通りだ。ぼくは高校の頃、部活の練習中に水を飲んだためにきつい思いをしたことがある。それがトラウマとなり、水を飲むのを避ける傾向がある。しかし、手を見てもらった時は「だから何?」と思い、あまり気にしなかった。

 この春以降、今回の病気の他にも、肌荒れや目の乾きなどの悩みを持っている。もしかしたら、すべて水分不足から来ているかもしれない。と思うに到り、すぐにネットで調べてみた。やはりそうだった。

 ということで、それ以来ずっと2~3リットルの水を飲み続けている。退院してからも血圧は高いままだったのだが、それが改善された。マスクのせいだと思っていた肌荒れが治った。手のひらに艶が出てきた。あとは痺れだけだが、これも何とかなるだろう。だっていい水で身体を育てているのだから。

 先日本屋で立ち読みした腰痛の本の中に、『こういう歩き方をすれば、腰痛を防げる』と書いてあった。さっそくその歩き方をしてみたのだが、なるほど腰に負担がかからず、楽に歩けるような気がした。
 ところが、三日ほどその歩き方を続けているうちに、足首に異変が起きた。筋をひねったような痛みを感じたのだ。
「慣れない歩き方だからそうなるのだ。きっとこの歩き方が慣れた頃には収まるはずだ」
 と最初は思っていた。しかし二日経っても三日経っても痛みは引かない。というか余計に痛みが酷くなった気がする。気になるともう駄目で、それを意識してしまって、足を引きずるようになった。やはり慣れない歩き方は駄目である。

 20年以上前、阪神淡路大震災の頃だったか、母親が車にはねられたことがある。母は頭の強打や大腿骨の骨折などで、およそ3ヶ月の入院していた。
 退院後、無事退院出来たことへのお礼に、母を連れて宗像大社に行った。ちょうど本殿の門をくぐった時だった。なぜか肩がスッと軽くなったのだ。母にそのことを言うと、母も同じように肩が軽くなったらしい。
 後日ある人に、「・・というようなことがあった」と言うと、その人曰く、
「宗像大社の本殿の前の門には門番がいて、そこに訪れる人の邪気を祓ってくれる」ということだった。
 ということは、母の事故の時は、家族に取り憑いた邪気が原因だったということになる。

 さて、先月末、ぼくが無事退院出来たことのお礼に、嫁さんと二人で宗像大社に行った。しかしその時は、ぼくの肩はスッとしなかった。
『邪気に取り憑かれたわけじゃなかったのか』と思っていると、嫁さんが、
「門をくぐる時、肩がスッとしたんよね」と言った。
『えっ・・!?』
 もしかしたら、今回の病気は嫁さんの邪気のせいなのかもしれない。しかし、肩がスッとしたのなら、邪気は祓われたということになる。
 もう大丈夫だ。

 一昨日、年金の手続きに行った。あらかじめ年金事務所の方に予約を入れていたので、待たされることもなく、最初は『一時間程かかる』と言われていた手続きも、予約した時に色々聞いていたおかげで不備もなく、すんなり終った。
 しかし早期に年金を受け取る際は、限度額が現在の月収と合わせて月額28万円までと決まっているらしく、今回は大した金額は貰えないということだった。あとは企業年金が頼りだ。

(しかし、この日記を始めた20年前、まさかここに年金のことを書くとは思っていなかった)

 退院してから一ヶ月以上が経った。その間ずっと、どうして病気に至ったのかを考えていた。生活習慣の末に入院するはめになったわけだが、ではどんな生活習慣が良くなかったのか。
 ぼくは病気にかかる前、ある人に、
「ぼくの体は、コーヒーとレーズンパンと芋焼酎と餃子で出来てる」
 と言ったことがあるのだが、本当にこれか全てで、他に何を食べたという記憶がない。さらに水分をあまり取らなかった。つまり病気の原因は、栄養不足と水分不足の生活習慣にあったわけだ。ある日それに気づいてからは栄養配分に気を遣い、水分補給も充分にやっている。おかげで、血圧がかなり改善されている。

 さて、その生活習慣だが、その影響を受けるのは健康だけではない。自分の性格も生活習慣に培われてこうなったのだし、現在の我が家の経済状態だってそうである。ということは、栄養や水分の補給を変えて血圧が改善されたように、考え方や行動を変えれば、性格も経済状態も好ましいものに変わるということだ。
 そろそろ、あまり好ましいとは思っていない生活習慣性格を脱ぎ捨て、久しく続いている生活習慣貧乏から抜け出そう。

売り出しの日のスーパーに行くと
駐車場所を探すのにひと苦労する。
原因を作っているのが軽自動車だ。
店側は軽自動車のため専用の枠を
いくつも用意しているのに軽側は
普通車用の駐車枠に止めてしまう。
普通車は軽枠に止められないので
ウロウロウロウロしてしまうのだ。
軽の方少し考えて止めて下さいよ。

四十代頃までは牛乳が好きで
いつも口にしていたんだけど
五十代にさしかかった頃から
おなかをこわすようになって
以来余り口にしてないのです。

基本的には牛乳の味が好きで
時々チャレンジはしてみるが
おなかのゴロゴロが怖くなり
少し口に含んではやめている。

動脈硬化、骨粗しょう症等々
カルシウムの不足が気になる
そんな日々に牛乳が飲めない
どうにかしないといけないな。

今日も黒いズボンをはき
黒いスニーカーをはいて
2キロ程の道のりを歩き
20分程で会社に着いた
それから1時間程たって
用を足しにトイレに行く
あっようやく気がついた
ファスナーが開いていた
誰にも気づかれなかった
─────んだろうか?

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